初代竹本義太夫 | 墓守たちが夢のあと

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竹本義太夫之墓

 浄瑠璃語りの義太夫節の創始者である初代竹本義太夫の墓が両国の回向院にあります。竹本義太夫は大阪に葬られていて、こちらにあるのは後年に建てられた供養塔だそうです。
 竹本義太夫は慶安4年〈1651〉に摂津国天王寺村の農家に生まれ、浄瑠璃語りの清水理兵衛に師事。京都や大阪などで活躍し、延宝8年(1680)頃より竹本義太夫を名乗ります。
 貞享元年(1684)に大坂道頓堀で竹本座を旗揚げし、近松門左衛門と組んだ義太夫は、従来の語りと一線を画した近世浄瑠璃の語りである義太夫節を確立。「曾根崎心中」は空前の大ヒット作となります。

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「竹本義太夫之墓」の隣りにある義太夫の法名が刻まれた墓

 竹本座は宝永2年(1705年)に竹田出雲が座本となりますが、その後も義太夫は竹本座に出演し、正徳4年〈1714〉に死去、享年64歳、法名は釈道喜。
 ちなみに回向院では「竹本義太夫之墓」と刻まれた墓石が目につきますが、その隣に義太夫の法名である「釈道喜」の名が刻まれた墓石がさりげなく建っています。どちらも義太夫の供養塔なのでしょう。

回向院:東京都墨田区両国2-8-10