本居宣長の家系 本居豊穎 | 墓守たちが夢のあと

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 江戸時代後期の国学者で、「古事記伝」などを著した本居宣長は、実子の本居春庭が失明したために家督を養子の本居大平に譲ります。
 ただ、春庭も国学者、国語学者として活躍して本居家は二つの家系に分かれています。
 本居大平は、宣長が一時仕えていた紀州徳川家に仕えています。大平は実子が相次いで早世したため、門弟の本居内遠を養子として迎え、その後は内遠の息子の豊穎が、宣長から四代目の当主となります。
 
 本居豊穎は紀州藩の藩学古学館の教授を務めた後、明治維新後は国学者として東京帝国大学・国学院・東京女子高等師範学校などの講師として活躍。皇太子(大正天皇)の東宮侍講も勤め、明治42年(1909)に文学博士号が授与されています。
 大正2年(1913)に脳溢血で亡くなり谷中霊園に葬られています。
 
 
谷中霊園乙10号左4側