国学者・本居内遠 | 墓守たちが夢のあと

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 東海寺大山墓地には、江戸時代後期の国学者・本居内遠の墓もあります。名前から想像が付くとおり、江戸時代を代表する国学者・本居宣長から3代後の当主です。墓地内には本居宣長の師匠、賀茂真淵の墓もあります。内遠の学識は歴代当主の中で宣長に次ぐ実力があったと言われています。
 本居内遠は名古屋の出身で、幼少の頃より算術,茶道,剣法,柔術などで才能を発揮しています。文政2年(1819)、28歳のとき江戸へ出て、翌年に国学者・本居大平に入門します。大平は本居宣長の養子で本居家を継承した人物です。
 本居内遠は大平の娘と結婚。大平の二人の息子は家督を継ぐ前に亡くなったため、天保2年(1831)、内遠が40歳のときに養子となっています。 
 その後、紀州藩主徳川斉順に仕え,「紀伊続風土記」(1839)を選定、嘉永4年(1851)より藩の神道学問所にて講義するなど活躍した内遠は、安政2(1855)年に亡くなっています。
 
東海寺大山墓地:北品川4丁目-11-8