備中浅尾藩 蒔田広定 | 墓守たちが夢のあと

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 駒込の勝林寺の田沼意次の墓の隣りにも大名家らしき墓がありましたので調べてみました。
 
 蒔田家は、現在の岡山県総社市にあった備中浅尾藩の藩主です。初代藩主、蒔田広定は、織田信長、豊臣秀吉に仕えた大名、蒔田広光の次男として尾張国織津に生まれ、秀吉の小姓頭となっています。文禄元年(1592)からの朝鮮出兵では肥前名護屋城に駐屯。文禄4年(1595)に父の死去に伴い、その所領である伊勢雲出1万石を継承します。
 
 しかし、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、西軍に属して伊勢安濃津城を占領したため、戦後、改易となり高野山にて蟄居しています。
 その後、浅野長政らのとりなしもあり罪を許されると、備中浅尾に1万石を与えられて浅尾藩を立藩。徳川秀忠の御伽衆などを務めています。
 蒔田広定は寛永13年(1636)に亡くなりますが、跡を継いだ二代定正は、父の遺言により3000石を弟の長広に分与し8316石の旗本となり、以降、蒔田家は幕末に加増され大名に復活するまで寄合旗本として浅尾を治めていきます。
 
勝林寺:豊島区駒込7-4-14