初代天文方・渋川春海のもう一つの墓 | 墓守たちが夢のあと

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渋川春海の墓(中央)

 
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もう一つの渋川春海の墓
 
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墓石に刻まれた名前
 
 東京都品川区の東海寺大山墓地にある,初代天文方・渋川春海の墓について以前紹介しましたが、その向かって左隣に同じ戒名「本虚院透雲紹徹居士」と掘られた墓石があることに気が付きました。
 渋川春海は、囲碁家元・一世安井算哲の長子で、慶安5年(1652)に父の死によって二世安井算哲となります。しかし、当時13歳と若すぎたため、安井家は一世算哲の弟子で養子の算知が継ぐこととなります。
 御城碁で活躍した算哲ですが、数学・暦法、天文暦学、神道などでも才能を発揮し、紆余曲折を経ながら、日本初の国産暦「貞享暦」を完成させます。この功により春海は貞享元年(1685)に初代幕府天文方に就任。250石の俸禄を得て、碁方を辞しています。
 以前、紹介したお墓は、正徳5年(1715)に春海が亡くなった時に造られた墓石ですが、今回見つけたお墓には「贈従四位 渋川助左衛門源春海」と側面に刻まれている事から、明治40年(1907)に改暦の功績によって従四位が贈位された際に建立された墓石であると思われます。
 なお、墓石に刻まれた「助左衛門」は春海の通称で、源姓を名乗っているのは、安井氏が清和天皇の流れを汲む源氏の畠山氏の末裔であるためです。
 
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東海寺大山墓地(東京都品川区北品川4-11-8)