西郷隆盛の妻 西郷イト(糸子) | 墓守たちが夢のあと

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西郷家の墓

 
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西郷イト(糸子)の墓

 
 青山霊園には幕末三傑の一人・西郷隆盛の妻や息子たちの墓があります。西郷は生涯三度結婚していますが、青山霊園にあるのは三人目の妻・西郷イト(糸子)の墓です。
 最初の妻は西郷が出世前の嘉永5年(1852)、24歳頃に結婚していますが下級武士であった西郷の生活は困窮を極め見かねた実家が妻を連れ戻し離婚してしまいます。
 二人目の妻・愛加那は失脚した西郷が奄美大島にて潜居していた際に娶った島妻で、菊次郎、菊草(菊子)の二人の子供をもうけています。しかし、島妻は島を出る事をゆるされなかったため、西郷の復権により二人は別れることとなります。
 三人目の西郷イトは家老座書役・岩山八太郎直温の二女で、西郷が第一次長州征伐の終了後の慶応元年(1865)に鹿児島へ帰ってきた際に周囲の勧めもあり結婚しました。イトとの間には寅太郎、午次郎、酉三をもうけています。
 国事に奔走する西郷隆盛は殆ど鹿児島の家族のもとへ帰ってこないため、隆盛の兄弟も含めた大家族である西郷家をイトが護ります。また、隆盛と愛加那の子の菊次郎、菊草(菊子)もひきとり、実子と分け隔てなく子供達を養育したそうです。
 西南戦争により逆賊となった西郷ですが、勝海舟らの働きかけもあり、明治天皇の強い意向で明治憲法制定時の大赦で罪が許され、名誉が回復されます。そして江戸城を無血開城に導き、江戸の町を戦火から救った西郷の銅像を建てようという運動が起こり、明治31年(1898)に上野恩賜公園に建立され、除幕式が行われます。
 この時、除幕式に参加したイトは、着流し姿で犬を連れた西郷像を見て「うちの主人はこんなお人じゃなかった」「浴衣姿で散歩なんてしなかった。」と憤慨し、同席した隆盛の弟・西郷従道にたしなめられたといいます。ただ、上野の西郷像が着流し姿となったのには理由があり、赦されたとは言え逆賊であった西郷の像を軍服姿で造ることに政府内で反対の声があった事と、政府への不満分子のシンボル化にされる恐れがあったためだと言われています。
 西郷イトは大正11年(1922)に79歳でその生涯を閉じています。
 
青山霊園 1種イ11号21側3番