朝鮮の政治家 金玉均 | 墓守たちが夢のあと

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 李氏朝鮮後期の政治家・金玉均は明治15年に日本に遊学し、福沢諭吉らと親交を結びます。帰国後、日本の明治維新を参考に朝鮮を清国の属国という立場から独立させようと活動。明治17年に甲申政変と呼ばれるクーデターを起こします。しかし清国の介入により政権は3日間で崩壊。日本へ亡命します。日本亡命中は犬養毅や右翼の巨頭・頭山満など多くの支援者らの援助を受けますが、清国との関係に配慮する政府により小笠原諸島や北海道での実質的な島流しという生活をおくりました。

 

 金は囲碁が趣味だった事から当時の囲碁の家元・本因坊秀栄とも親交を結び、秀栄は親友の金を訪ねて小笠原諸島や北海道へ赴いていたそうです。
 
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 ようやく東京で暮らせるようになった金は、明治27年に上海に渡りますが、これは罠で、金は上海で暗殺されてしまいます。死後、遺体は朝鮮に運び込まれてバラバラにされたあげく、首や手足が各地に晒されたといいます。
 日本の関係者は金の遺髪や衣類の一部を持ち帰り、日本で葬儀を行います。現在、青山霊園にある金玉均の墓は、犬養毅、頭山満らの支援で建立されたものです。
 ところで、都立霊園である「青山霊園」では毎月管理料がかかりますが、金玉均の墓は5年以上支払がないと平成16年に撤去通告が出されました。特に外国人墓地では遺族が分からなくて撤去されるケースもあり問題となっていますが、この通告に驚いた韓国大使館が代納し撤去を免れたということがあったそうです。

墓所:東京都港区南青山 青山霊園 外人墓地  地図
写真:2012.5.2撮影