花窟神社からの続きです。
次に向かったのは屋久島大社の摂社
猿田彦命社で受け取ったメッセージにより
神倉神社へ参拝に
(和歌山県新宮市神倉1丁目13-8)
花窟神社から海岸線を30分ぐらい走るとあります。
新宮市最高峰の千穂ヶ峯
その東南端にある神倉山の山上に神倉神社があります。
神倉神社は
熊野速玉大社の摂社だそうですが
神倉神社の方が古くて
熊野権現が
熊野三山として祀られる以前に
最初に降臨された場所です。
熊野速玉大社からは
歩いて15分ぐらいの場所にありますが
今回は先に神倉神社を参拝したので
神倉神社の駐車場に車を停めました。
橋を渡ってすぐの正面には
猿田彦神社と
神倉三宝荒神社が鎮座しています。
手水舎
まずは猿田彦命様にご挨拶をしました。
参拝の時に
いきなり光の中から亀の姿が現われました
その時は亀の意味がよくわからなかったけど
数日してからメッセージがわかりました。
それにより丹後と繋がり
11月中に丹後へ行く事になりました![]()
天磐盾(あまのいわだて)
神倉神社は神話の時代から登場しています。
日本神話では天磐盾として記されています。
神武天皇紀
神倉神社御由緒板
日本書紀神武天皇紀に
「熊野神邑ニ到リ 且天ノ磐盾ニ登ル」とあります。
手水舎
鳥居をくぐって
ここから538段の石段を登ります。
源頼朝公が寄進したと言われる
鎌倉式石段だそうです。
538段は大した数ではないと思うけど
綺麗な石段ではなくて
ごつごつとした岩の階段です。
垂直に近い傾斜なので
途中で下を見ると怖いです。
雨降りや雨上がりは濡れていて滑りそうで
余計に怖いだろうなと思いました。
ほんと!晴れていて良かった
急な場所は真ん中辺りまでで
それを過ぎると少し楽に登れます。
以前参拝した友人から
登るのはすごく大変だったと聞いていて
どんなに大変なのだろうと覚悟していたから
それ程でもなかったと
思えたのかも知れないですね。
少しおどしてくれていた友人に感謝ですね![]()
一緒に登った友人は
猿田彦神社にて参拝の時に
猿田彦命様に「楽に登れますように」と
お願いしたらしく
足取りも軽やかに登れたと言っていました。
「きっと、天狗様が
後ろから押して下さったんだろうな」と
笑って言ってました![]()
手水鉢(ちょうずばち)
新宮城主第2代の水野重良が(1596年~1668年)
栃木県那須城主の大関高増の母の延命と繁栄を
祈願して寄進したものです。
黒雲母花崗斑岩の巨大な石を加工して造られており
正面には「寛永8年2月 重良が寄進」
したことが刻まれています。
神の磐座と崇拝されてきた
ゴトビキ岩と呼ばれる巨石が
神倉神社の御神体です。
熊野地方の方言では
ヒキガエルの事をゴトビキと言うそうです。
巨岩がヒキガエルの形に似ている事から
ゴトビキ岩と名付けられたようです。
古代から霊域として
または修験者の行場として栄えてきました。
ゴトビキ岩にかけられている注連縄は
毎年2月6日に行われる
「お燈まつり」の前に掛け替えられるそうです。
ゴトビキ岩の前に鎮座する小さな社殿
御祭神
高倉下命(たかくらじ)
天照大神
標高100mほどの場所から見る
新宮市街地はとても綺麗でした。
市街地の先にある海は
きらきらと光って見えました。
今日は天気に恵まれて秋日和でした。
こんな場所でもメッセージ(笑)
やくし町→屋久島とシンクロ(笑)
その下の熊野金の文字も良いですね
金運良くなりそう(笑)
看板の文字や広告の文字
車のナンバープレートの数字などを
普段からも気にしていたら
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何気ない場所や物からも
神様や守護霊様からのメッセージを
受け取る事ができますよ。


さて戻りましょうか
行には写真を撮らなかった
参道の途中にある「火神社」
帰りに写しました。
急な石段は
下りの方が怖いかも
御朱印は
熊野速玉大社の社務所でいただけます。
特別御朱印の方を頂きました。
(日本書紀編纂千三百年記念)
コロナの為
今は直接、御朱印帳には書いていただけません。
御朱印は500円納めました。
次は熊野速玉大社へと参拝に





























