はじめの一歩。 | バツイチ独身・四十路女のブログ♡

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人生山あり谷あり。
酒と煙草をこよなく愛し、毎日を元気に生きる。
そんな女の赤裸々な日常をお届けします。

いつだって全力で婚活をし…

全力で誰かを好きになり…

どんな時も『頑張る自分』でなければならぬ!と思い…


私はいつも、どんな時も何かに急き立てられるように生きてきたような気がする。


将来、孤独になるのが怖い。

子は成せぬとも、パートナーがいる暮らしをすれば少なくとも1人よりは孤独ではない。


周りに


『歳を取ったら寂しくなるよ。』

『相手を見つけるなら50までだよ。』


と言われ、一歳でも若いうちに…と、おかしな風にネガティブになり、焦りの気持ちばかりが先走っていた。

そう。いつだって私は、自分が孤独になることが怖くて、寂しくて『婚活!婚活!』と必死になっていたような気がする。


けれどふと自分を振り返り心を整理することを試みた時、自分が本当にしたいこと、やりたいこと、将来の理想の自分像をもう一度よく考えてみた。



孤独さえ怖がらなければ、私は一人で生きていく事が決して苦ではない。

健康で、毎日が楽しくて、仕事があって、少ないながらも友達がいて…

そんな何気ない暮らしを、たぶん営んでゆけるのだろうと思う。

再婚する事になったら…と、いざリアルに想像してみると、正直、怖くもなる。




孤独が怖い。 

側にパートナーがいないのはカッコ悪くて恥ずかしい。



世間体や不安感から、私は無我夢中で自分に足りないものを他人様に補ってもらおうとしていた。

自分で自分を幸せにすることを放棄し、誰かに幸せにしてもらおう。誰かと一緒ではないと自分は幸せではない。幸せにはなれない…と、決めつけていた。



私は間違っていたのかもな…

間違っていた…というより、一つの思考に凝り固まって、こだわり過ぎて、焦って意地になり過ぎていたのかもな…と思う。


私が執着していたのは、殿方への『愛』ではなく、『自分が思い描く幸せをくれる人を手に入れたい』という自分自身の他力本願な我と、自身が思う『幸せの定義』に対する決め付けだったのかもしれぬ。


私の思う、私の考える理想の愛情をくれないと嫌だ。

私の事が好きなら○○できるはず。

もっと私を大切にしなさいよ。


それが叶えられないと、今度は『自分は愛されている』という証拠探しを必死にする。

自分が相手に多くを望むことばかりで、そこにある

『私はこの人が好き』という気持ちはただの意地になり、自分はどうしたいのか、自分がどうしたいのかがなくなり、これまでの私は鬼のような顔をして殿方に執着していたと思う。



これに気付いたきっかけは、まさかの『運動』。

私はずっと酷い肩凝りに悩まされ、整体やマッサージ、整形外科で注射、肩にボトックスを打つ…など、ありとあらゆることをしてきたが…

運動を始めてから、一切肩凝りがしなくなった。

要するに…外からありとあらゆる方法で人の手を加えて肩凝りを解消しようとするよりも、自身の体を自らきちんと動かすことで長年悩まされていた酷い肩凝りが解消された…ということ。



思考も同じ。 

他力で幸せになろうとするのではなく、まず自分を自らの手で幸せにしていく。

その為に凝り固まった思考を変える。

思考を変える事で行動が変わる。

行動が変わると視野が広がったり、新たな自分を発見できる。

そうすると自分を自分で認めていけるようになり、自信がつく。

ますます自分で自分を幸せにでき、毎日が楽しくなる。

いつもニコニコ楽しそうな人に人は寄ってくる。

すると更に毎日が楽しくて嬉しくなって幸せが膨らむ。




…ものなのではないかな。と真面目に思う。


自分の人生の責任は自分でしか取れない。

そして、自分を幸せにするのは他の誰でもない『自分自身』。


それをわきまえた上で友達や彼氏や好きな人に甘えたり、頼ったり、ちゃんと芯があるのにそんな風に時に可愛く、時にチャーミングに凛と生きていける女性になれたらどれだけいいだろう。


人はすぐには変われない。

思考も、ネガティブさも、依存心や執着心も、それは今まで培われてきた自分自身なのだから。

けれど『変わろう』と思う事がまず、はじめの第一歩。



私は変わる。

変わらなければ。




度重なる失恋がやっと、良い意味で心に響いた。





すぐには変われない。

けれど変わる努力は惜しまずする。

自分で自分を認め、自分をこよなく愛せるように。







たくさんの幸せな毎日を。