「太陽の子」放送前のネット記事(文春オンライン)より引用 ~三浦春馬~ | Promised Land -帰りたい何処か-

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わたしにとっての「約束の地」はどこなのか?

その答えを今探しています。

 素晴らしい分析だったので、いつか検索できなくなってしまう前に、引用させていただきたいと思う。

本当に、私もそう思う。

 

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 7月8日に広島で行われた記者会見で、演出脚本の黒崎博氏は三浦春馬のキャスティング理由について「生きるエネルギー、全面にそれが伝播してくる人」と語った。そこからわずか10日後の彼の死によって、その言葉が皮肉な結果になったとは僕は思わない。それは間違いなく俳優としての三浦春馬を的確に表現した言葉だった。 

 

「(演じた兵士の)明るい部分でも、漆黒とした感情に移り変わるんだという、そのむごさというものが表現できたらいいのかなと現場では思っていました」

自分が演じた人物をそう語った言葉は、まるで彼自身について語った言葉のように今は聞こえる。  

 

 彼は必死に生きようとしていた。戦争中の若者たちがそうであったように、すぐそこに迫り引きずり込もうとする死の影を振り切るように明るく、希望を探そうとしていた。

 

 

  広島の記者会見で三浦春馬は「今、僕たちはいろんなことで、人生を諦めたいと思う瞬間もある。けど、その空しく生きた一日が、当時あれほど生きたいと思っていた一日。一日は変わらないじゃないですか。そんなことを胸に、生きていきたい」と語っている。それは7月8日、彼の死の10日前に語られた、明らかに自死を戒め、生きる希望を探す言葉だ。  

 

 まるで追いすがる死よりも早く走ろうとするかのように、三浦春馬は希望に向かって走ろうとしていた。「優しい春馬さん、深呼吸してください」と有村架純はインスタグラムで追悼の 言葉を送った。「柳楽くんは優しさが出て、(自死を止める演技のリハーサルで)僕を強く殴れなくて、子犬を撫でるみたいな芝居になっちゃった」と笑う生前の三浦春馬の映像がスタジオパークで流れると、柳楽優弥は「ごめんね」と呟いた。

 

8月15日は終戦記念日であり、生者と死者が語り合う季節

 ‪「未来の話をしよう」と、三浦春馬が劇中で演じた若い兵士が語るシーンがスタジオパークで流れた。その物語がどのような内容でどんな結末に至るのか、これを書いている時点で8K先行放送も試写会も見ていない僕にはまだわからない。だがそれは、柳楽優弥、有村架純、三浦春馬という戦後の若者たちが、戦前という過去を演じることで未来について考える物語である。

 

  そこで演じられるのは75年前に20代の若者だった、多くはもうこの世にいない死者たちの物語であり、演じる3人の戦後生まれの若者のうち、1人は彼らの側に行き、もうこの世にはいない。だが残った作品の中では、今も生きる俳優と今はもうこの世にいない俳優、生者と死者が同じ映像の中で言葉を交わし、観客に未来についてのメッセージを残す。 

 

 この物語が放送される8月15日は言うまでもなく日本の戦争が終結した終戦記念日であり、そして日本においては死者の魂がこの世界に一時だけ戻り、生者と死者が再会し語り合うとされる盆である。

 

 「以前、広島に足を運んだ際に(被爆者の)話を伺って印象深かったのは、人間は想像力を欠如した時にむごいことをする、ということ」  

 

三浦春馬は7月8日、最後の記者会見でそう語った。

 

 「戦争を進めていくうちに人間の想像力が欠如する。僕たちの仕事は、想像力を皆様に届けること」 

 

 スタジオパークで流れた映像も同じ日に広島で撮影されたものだ。

 

「想像力を届けることが、今後、あってはならない大きな流れを始めさせないきっかけになるんじゃないかなと思う」わずか1ヶ月前にそう語った、今はもうこの世にいない俳優が、映像上の存在として僕たちに何かを伝えに戻ってくる。

 

  サンスクリット語のウランバナに由来し、仏教用語で盂蘭盆会(うらぼんえ)‬と正式には呼ばれるその夜に、僕たちは戦前の、そして戦後の死者の声を聞く。

 

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後で、「太陽の子」の感想や三浦春馬さんへの追悼文を書こうと思います。