ひとのためほんとうに楽しいひとたち | みんサルの旅

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旅をしなくても、旅してるように生きる。。



あぁ、このひとたちは、
社会全体のために何かしよう、
というのはちょっと違ったな。

どこか不器用で、意地はってて、
世間に馴染みにくいけど、
ひとのためほんとうに楽しいひとたち。

まったくまともな性格じゃない僕も、
そういうひとたちと一緒にいたかったし、
そういうひとにできることがあるかもしれない、と思った。

そう、菊次郎の夏を見て、
旅をしてないことを思い出した。


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たかだか30~40年の人生で自分にあるものなんて、
しゃべるのに1年ぐらいでネタ切れになる、
というのが響いた。

そこからは、撮って出しになって、
なかなか苦しい。とのこと。

マツコさんの言うとおりであって、
ピーコさんの言うとおり。

同じように、
自分の20代、30代の人生から、
最近、搾り出せる部分はもはやほとんどなかった。

そして、1~2年のビジネスの経験なんて
30分で語り尽くせるぐらいだった。

もう、既知の自分が広がっていて、
それ以上がなかった。

過去にしがみつくか、虚勢を張るか、
どちらか。

努力の賜物だね、オリジナルは。

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できない人の方が協力したくなる。
そういうモデルとよく出会う。
話をきく、というか、返事しようと思った。

失っているものもありながら、
得ているものもあった。

「基礎が大事。」
と言ったのが、イチローだったら響く。

「人に話を聴かせるのに肩をポンと叩いてもダメだ。
肩をハンマーで叩けば人は初めてちゃんと話を聴く」
とジョン・ドウは言った。

多少のなんかなんて、
たったひとりの裸の王様だった。
勝手に決めて、勝手にやめた。

苦しむばかり。
そういうものだった。

でも、何を言われても、どう思われても、
と、どっかで覚悟してる。
それを自問自答しながら、すべての行動にギャンブルする。

「ココロ折れた?」
よく、フットサルでも、ビジネスでもきかれる。

気をつかってもらっているのだけど、
実は、空気よめない僕からすると、まったく見当はずれな質問で、
ココロなんかまったく折れない。
というか、折れるはずもない。
悲しかったり、悔しかったりしたけどね。

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そのとおり、
旅をしたり、本を読んだり、
また自分に貯めていかなきゃ、と思った。
同時に、また新しいことを創り上げていこう、とも思う。

深みは、自分。

そして、砂上の楼閣だったことを、今度は固まらせる。
そんなチャンスを待ちたい。

さて、
また新たな系列を感じさせるフットサルに参加させていただきました。

選手が行う教室や、サービスの参加者の方々がつくるコミュニティかな、
これまたひとつの大きな潮流の一端なんだな、を感じました。

その皆さんが感じていることは、
なかなか厳しい視点で、
所変われば基準も変わる、
いや、大変勉強になりました。

うまくなったと思えることのひとつは、
様々なスタイルや考え方のなかに沿っても、
少しでも自分のパフォーマンスを発揮できる自信があること。

まだまだですが、
いつもビジネスでもそうありたい、と思ってる。

栗ごはん。
ひとつ素敵なレパートリーがふえて、重畳。
では。