夜に何とか、電車で、表参道を歩きながらで、読んで、間に合ったのは、重畳。 | みんサルの旅

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マーケティングとは?

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ガイアの夜明けでのポッキー。
グローバル統一ブランドを推進するため、
インドネシアでポッキージャンパーをきたバイク集団を走らせてた。

マレーシアでの、舗装されていない、河のそばにいる、
奥地の僻地で、まったく相手にされないところ、
とっさに子どもたちに配ってその様子で、店に置いてもらった。

実践は説得力がある。

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女性にとってのお化粧、
男性にとっての肩書き、

のように、
中身を中身以上にみせかけるという一面があると思う。

ある意味、中身がなくても、マーケティングの価値のみで、
売買されることもあり、競争主義の資本主義下で成り立つ。

進化したら、
自滅するもののひとつかもしれないし。

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女性科学者、盲目の音楽家、号泣議員、、、

中身が足りなくなればなるほど、
必要となる。

地震、津波、火山。

圧倒的なパワーは、
どれもマーケティングなんか必要ない。

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実践を持たない理論は、
単なる井戸端会議のテーマで、
笑い話のように思った。

で、毎度のごとく、
危うく自爆するとこだったのは感覚的にわかったので、
帰りの電車で、どういったらよかったのか、考えてみた。

僕が思うに、マーケティングは、中身がないものを着飾る、
中身を偽る、いわば、究極的には詐欺だ。
なんで中身のみで勝負できないんだ!?
中身で勝負できるように、本質ということを考えれば、
なくすことを目指すべきです。

みたいな言い方は、頼み方の下手なベジータのように、
全員敵にまわすところだった。

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マーケティングが生み出すものに、
中身がないことを隠す、という一面があるように思う。

それは、例え、中身がちょっと足りなくても助けてくれる、
魔法の杖になるときもある。

実際問題、僕ら、中身だけで勝負できるなんてできないから、
マーケティングが必要になってくる。

等しく配分する共産主義では、
そう、学芸会で全員同じお化粧のように、
その必要なくなるものです。

という言い方なら、まだ柔らかいかな。
よし。

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こないだの番組で、カウンセラーのひとが、
うつ病だった方にたいして、
あなた間違ってるから、すっごくイライラすると浴びせかけてた。

言ってる内容はどちらでも大丈夫のように思う。
どう実行するか、の局面は大事かな、とよく思う。

それがまったくできていないのが自分。
努力して足りない、、、ま、仕方ない。努力してる。次はきっともっとよくなる。

でも、昼休みに本を買って読んで、
夜に何とか、電車で、表参道を歩きながらで、読んで、間に合ったのは、重畳。
では。