源空寺は天正十八年(一五九〇)本多廣孝、康重が白井城一万石の領主として封ぜられた後、菩提寺として建立されたが、慶長五年(一六〇〇)薬師堂も併せて建立した。目薬師として霊験あらたかである。薬師如来の尊像は利修仙人の御作にして尊像の由来をたすねるに仙人と申し奉るは薬師如来の應現なり、普く衆生の病患を救い給ふ。この尊像に歸依し奉れば現世に於いては横死横病一切の病患の苦しみなく心身安楽にして所願成就して後生には常住無為の楽果を得て終わりに無上正覚を成就するの旨御經の文に明なり。現在の薬師堂は天明四年(一七八四)隣火よりの失火により類焼し天明六年再建されたものである。当初は茅葺であったが、近年瓦葺とした。内殿奥の須弥壇に本尊薬師如来が安置されている。格天井が組まれ彩色画が描かれて、嘉永七甲寅(一八五七)高墨渓堀舡山と著名がある。嘉永五年(一八五五)に揚げられた「間引きの絵馬」の図も堀舡山の筆である。薬師堂としては稀な建築物である。
(鳳來寺峯薬師如来略縁起より)


厨子とは本尊を納めるためのケースのようなもので、本物件は間口・奥行ともに一間あります。間口が約七〇センチですので二尺の大きさの厨子とみられます。奥行は四五センチなので背後が切りつめてあり、正面から見ると方形のように見える。屋根も背面が切り落とされた状態になっています。来迎柱は丸柱、扉は格子戸(一部板張り)で両開き、組物は中央に板蟇股、丸柱の柱頭には台輪を載せ、二手先の斗組で桁を支えています。屋根及び周囲は板を使い、軒まわりには二重重木の外観を持っています。屋根には簡素な木製の宝珠を載せています。製作年代は蟇股や木鼻のデザインから江戸初期の製作と考えられますが、全体的に簡素な造りの建築的厨子とされています。
(現地説明板より)







2020.1.6