吹屋村の惣鎮守、白井城北遠構内の北西に位置していて、雷神・防火神であるので城周めの神社と思える。社地は東西南北各十七間で面積は二百三十坪(上野国郡村誌)。境内の樹齢約五百年の大ケヤキは子持村随一であり、白井城構築後植樹されたことが分かる。近世にはこの地は吹屋屋敷と呼ばれ、京都より鋳物師の称号を与えられた生業者がいた。近代まで同地域に祭神火産霊神の愛宕神社と建御名方神の諏訪神社があり共に吹屋村の村社であったが、明治八年(一八七五)には合併していた愛宕神社本殿の遺構は一間社流造り、正面に千鳥破風を付け、比較的簡素であり、上毛歴史建築研究所の調査は、建築時を十八世紀中期より末期と推定している。前覆堂は安政六年(一八五九)に、現覆堂は明治四十五年(一九一二)に建立の棟札が残っている。地籍は大字白井であるが、管理は大字吹屋惣代長が当たっていた。氏子数約六百八十戸、祭日は四月と十月の十五日である。境内に吹屋の御輿があり、明治時代から青年会中心の夏の祇園祭が盛大に行われている。
(現地説明碑より)
















2020.1.6