➃西国街道(1―西広島―廿日市) | 日本全国ぶらり街道一人旅

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タイトルを変更しました、寄る年波には勝てず長い距離を走れなくなってしまったため、もうマラソン大会に出られるような走りは出来なくなてしまった、近頃は走ることもままならずもっぱらウオーク&ジョグである、ただ街道の旅はやりたいのでタイトルを変更しました

2024年6月16日、第四回目の西国街道です、午前6時、朝一番の新幹線で広島へ

山陽本線に乗り換え10時06分西広島に到着、なんだかんだで10時30分に出発

 

今日の予定は西広島から廿日市を経て、玖波宿まで行きます、JR西広島駅と

広電西広島駅の間の道が旧西国街道、細く曲がりくねった道はいかにも街道の風情

 

  
左手に「赤飯・祝餅 別れの茶屋」と書かれた、赤いテントと左下に「別れの茶屋」と彫られた

石柱のあるお店がある、見送りの人がここまで送ってきて別れを惜しんだという、この先の広電踏切の名前が「別れ茶屋踏切」とは面白い

 

   

西広島バイパスを潜る、この辺りに「高須の一里塚」があったそうだがそれらしきものは

見当たらない、右手に大きな「延命地蔵」がある「是ヨリちたふ(ぢぞう)道」と書かれた

道標がある、その先右手の大邸宅が目を見張る、茶道「上田宗箇流]家元の屋敷らしい

 

     

右に立派な釣り鐘あるお寺がある、その先に「歴史の散歩道の案内板」のあるお寺がある

この「歴史の散歩道の案内板」はこの後、次々と出て来て説明があるので分かりやすい

  

     

広電草津駅を過ぎた右側にある立派な旧家は「小泉酒造」、左手の草津町交流広場に

「ここは西国街道草津町」の案内板があり、色々展示されている、この先にあるはずの

大石餅店の餅臼・灯篭なども展示されていた

 

  

幸福稲荷神社がある、火事が多かったので村人が祠を立てて祈った所火事がなくなった

大きな釣り鐘が目を引く所がある、草津から井口に掛けては山陽本線を右に見て行く

 

  

「塩釜神社」がある、瀬戸内海では製塩の神として信仰されている、流石ここは中国地方

中国新聞のお店があった、その先に「餓鬼の首地蔵」 昔は小山の険しいのを「がき」と言った

今歩いているここは井口付近、井口は「いぐち」とは言わない、「いのぐち」と言う

 

     

東の草津と西の五日市を結ぶ井口の道が西国街道、案内板があり、井口に最後まで残っていた

1本の松も昭和58年の道路拡張により惜しくも伐採された、道は八幡橋を渡って五日市に入って

行く、一軒の家の前に妙な像があるので近づいて見ると「平清盛像」、厳島神社の神主であった

「佐伯景弘」と清盛は親しくなり厳島神社を立派にしたので像を立てたと書かれていた

 

     

松並木跡、今は名残りの五本松と、薄れて消えかかった説明板にあるが1本しかなかった

その先にも「名残りの松」がある、廿日市市内では貴重な1本のみの街道松だそうだ

 

     

壹里標「従是元安橋東詰三里」で、通って来た元安橋の「広島市道路元標」の所から御筋橋の

親柱(右)昔はここに御筋橋が架っていて街道は直行していたのだろう

 

     

左に風情のある蔵、その先に「佐方一里塚跡」大きな「西国街道壱里塚跡」の標柱のみ

その先にも名残りの松があった

 

  

突然大雨が降りだした、遠くに廿日市天満宮が見える、小降りになったので天満宮の前を通って

行くと公民館の前に「芸州廿日市御本陣旧趾」碑があった、雨は小降りになったがやまないので

JR廿日市駅へ退避、ここまで11.1k