大戸屋のお家騒動が終結! | 体脂肪率4.4%の公認会計士 國村 年のブログ

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 M&A Onlineによると、居酒屋「甘太郎」などを運営するコロワイドが、大戸屋ホールディングスの株式18.67%を取得して筆頭株主になったようです。
 急逝した創業者・三森久実氏の妻・三枝子氏とその息子・智仁氏が、保有していた株式をすべて譲渡したのです。
 大戸屋ホールディングスは久実氏が逝去した後、現社長・窪田健一氏と三森家の間で後継者を巡る壮絶な争いを繰り広げていました。
 コロワイドの登場により、後継者争いに終止符が打たれました。
 これは大戸屋の騒動をまとめたものです。

 大戸屋ホールディングスの創業者である三森久実氏が、肺がんにより逝去したのは平成27年7月27日のことです。
 その後、久実氏の従弟で取締役の窪田健一氏がトップに立ちました。
 46歳だった窪田氏は国内事業本部長などを務めており、その実力は社内外からも認められていました。
 しかしながら、それを良しとしない三枝子夫人が、会社の裏口から社長室に入り込み、机の上に久実氏の遺骨と位牌、遺影を置いて退任を迫るといった。そんなドラマのような一幕があったことはあまり知られていません。
 「主人があなたを見ている。窪田、社長を辞めなさい。そして、智仁を社長にしなさい」
 この鬼気迫るやり取りに至るまでに、いったい何があったのでしょうか?

 こじれた要因は大きく2つあります。
 1つは久実氏の肺がんが判明してから死に至るまで、わずか一年しかなく後継者問題に決着をつける時間がなかったこと、2つ目は息子の智仁氏が当時27歳とあまりにも若かったことです。

 久実氏が不治の病だとわかったのは、平成26年7月でした。
 そのときすでに脳への転移が認められており、悪化すれば通常の判断ができない状態でした。
 窪田氏と智仁氏は主治医から、久実氏がいなくなった後の会社の方針をできるだけ早く本人から吸収するようにと伝えられます。

 創業者・久実氏が息子の智仁氏にかける期待と熱の入れ方は相当なものです。
 戸田公園店の店長だった智仁氏は、肺がんが判明した直後の平成26年8月に執行役員社長付に昇進しています。
 更に平成27年6月の株主総会では取締役に選任され、常務取締役海外事業本部長に就任しました。

 役員や執行役、社外役員の大半が「昇進は早すぎる」という印象を持っていました。
 しかしながら、死期が迫る会長の意向を汲み、反論ができませんでした。
 生前の久実氏は親族だけでなく、窪田氏などの主要経営幹部にも「智仁を後継者に」という意向を伝えていたといいます。

 久実氏の死後、窪田氏と智仁氏の関係は悪化します。
 平成27年8月に窪田氏と智仁氏は都内の焼き鳥店で食事をしました。
 そこで智仁氏が「僕が正当な事業の継承者だ」などと思いのたけを口にします。
 対する窪田氏は「もっと経験を積んで地べたを這ってやらないと誰もついてこないし、そんな簡単な会社じゃない」とたしなめます。
 会話はヒートアップし、「(智仁氏は)もう会社には来なくていい」との発言に至りました。
 それが決定的となり、二人の関係は急速に冷え込みます。
 そのおよそ一か月後に三枝子夫人が遺骨と位牌を持って会社にやってくるのです。

 そんな折、功労金を巡る大問題が巻き起こります。
 それが智仁氏の逆鱗に触れるのです。
 功労金は生前に支払うことができませんでしたが、役員は創業家に8億円程度を準備するつもりでした。
 しかしながら、それに待ったがかかるのです。
 大戸屋は「祇園ミクニ」や上海事業、植物工場などの負の遺産を抱えていました。
 まずはそれらを整理するための資金に充てた方が良いのではないかという意見が出たのです。
 結局、功労金の支払いは先延ばしになりました。
 決まりかけていたことを知っていた智仁氏は激怒しました。

 追い打ちをかけるように、窪田氏は智仁氏に対して、海外事業本部長の任を解いて香港事業運営部長に任命します。
 事実上の降格です。
 「僕が唯一無二の存在だ」と言い放つ智仁氏の未熟さを考慮し、経験を積ませるための決断でした。

 社会の厳しさを知り、客観的かつドライに対応する窪田氏と、久実氏と三枝子夫人に可愛がられ、期待されて大志を抱く智仁氏の間で、跡継ぎ問題は、価値観や視座が異なることで巻き起こった出来事でした。
 これは、カリスマ性を持った創業者が急逝した際によくみられる事象の一つです。

 結局、会社に居場所を失くした智仁氏は、平成28年に大戸屋ホールディングスの役員を辞任し、スリーフォレストという高齢者向けの宅配事業の会社を立ち上げました。
 平成29年6月の株主総会では、功労金2億円の支給が決まるのです。

 そして今回、持ち株すべてをコロワイドに譲渡して、智仁氏と三枝子夫人の株主としての影響力もなくなりました。

 一連の後継者を巡る騒動は、こうして終焉を迎えたのです。

 最近の事業承継の失敗例として取り上げられたりする大戸屋ですが、とりあえず騒動は終わりを迎えたようですね。
 上場企業は、プライベートカンパニーではなくパブリックカンパニーですから、やはり、早くから取り組んでおかないと、会社の存続問題につながりかねないということを改めて認識しました。
 これは、上場企業だけでなく、中小企業でも同様です。

 大戸屋のお家騒動が終結したことについて、どう思われましたか?