■#017 伊達政宗、悲しき父との別れ■ | みの吉の学校で教わらない戦国時代

みの吉の学校で教わらない戦国時代

群雄割拠の戦国時代。
戦国武将たちは自らの信念を持って必死に生きています。
そんな戦国武将から学ぶことはたくさんあるのではないでしょうか。

日本の戦国時代を中心に学校の授業では教わらない、
エピソードや戦国武将の名言・家訓などのご紹介をしていきます。

”奥州の独眼竜”と言われる”伊達政宗”
伊達政宗
















政宗に優れた資質があると見抜いた父”伊達輝宗”は、


政宗が二十歳になる前に家督を譲りました。


輝宗の見立て道理、政宗は近隣の小大名を次々と降伏させていったのです。







その中の一人、二本松城の城主”畠山義継”もその小大名の一人でした。


一度は降伏した義継でしたが、和睦条件である領地没収があまりにも厳しすぎるので、


輝宗を人質に取り逃亡したのです。




これを知った政宗はすぐに追いかけ、義継に追いついたのですが、


父を人質に取られなすすべありませんでした。




そんなとき父輝宗は、



「俺とともに義継を殺せ!」



と叫んだと思うと、政宗も発砲を許可。


輝宗は命を落としたのです。







父の命と引き換えに義継を討った政宗は、


その後わずか二十四歳で百万石を超える大名となったのです。





もしこの時政宗が発砲を許可しなければ、近隣諸国から侮られたのは必須。


きっと父輝宗も天から喜んでいたことでしょう。





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