政宗に優れた資質があると見抜いた父”伊達輝宗”は、
政宗が二十歳になる前に家督を譲りました。
輝宗の見立て道理、政宗は近隣の小大名を次々と降伏させていったのです。
その中の一人、二本松城の城主”畠山義継”もその小大名の一人でした。
一度は降伏した義継でしたが、和睦条件である領地没収があまりにも厳しすぎるので、
輝宗を人質に取り逃亡したのです。
これを知った政宗はすぐに追いかけ、義継に追いついたのですが、
父を人質に取られなすすべありませんでした。
そんなとき父輝宗は、
「俺とともに義継を殺せ!」
と叫んだと思うと、政宗も発砲を許可。
輝宗は命を落としたのです。
父の命と引き換えに義継を討った政宗は、
その後わずか二十四歳で百万石を超える大名となったのです。
もしこの時政宗が発砲を許可しなければ、近隣諸国から侮られたのは必須。
きっと父輝宗も天から喜んでいたことでしょう。
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