■#002 前田慶次、主を水風呂へ入れる■ | みの吉の学校で教わらない戦国時代

みの吉の学校で教わらない戦国時代

群雄割拠の戦国時代。
戦国武将たちは自らの信念を持って必死に生きています。
そんな戦国武将から学ぶことはたくさんあるのではないでしょうか。

日本の戦国時代を中心に学校の授業では教わらない、
エピソードや戦国武将の名言・家訓などのご紹介をしていきます。

”花の慶次”でもお馴染みの”前田慶次”
前田慶次



















傾奇者の代表ともいわれる慶次の話です。




慶次は当時の城主”前田利久”の養子として前田家へ来ました。


本来であれば、利久の後継は慶次であったのですが、


前田家の主君”織田信長”の命により、


家督は”前田利家”へと継がれることになってしまいました。




この後、利久・慶次親子は城を出て十数年別の場所で過ごしたのですが、


利家が金沢城主になった頃前田家へ戻っています。


しかし、利久がいるからこそ前田家にいるだけであって、


慶次にとってはどちらでもよかったのではないでしょうか。




利久が亡くなってから後、慶次は前田家を出奔しています。



その出奔する直前ですが、慶次は利家を招き茶を馳走しました。


傾奇者で有名な慶次ですから、利家にも迷惑をかけたでしょう。


利家も”少しは改心したか”という思いで慶次の屋敷へ赴いたようです。




しかし、屋敷は中はずいぶんと寒い!


それもそのはず冬にもかかわらず利家が来る直前まで、


慶次は部屋の障子を開け冷やしていたのです。


茶を馳走した後、温かい風呂を勧めました。




当時は温かい風呂も客へのもてなしの一つでした。


冷え切った体の利家は有無を言わさず、慶次の勧めを受け、


風呂へ入ることにしました。事前に慶次が、


「熱からず、冷たからず、春の陽気のような湯加減です。」


と湯加減を確認すると、利家は飛び込んで湯に入ったのです。




しかし、それは上が熱いだけで中はキンキンに冷えた水風呂でした。


「慶次!」


と利家が叫んだ時には時遅く、


慶次は利家の愛馬”松風”に跨り悠々と前田家を出奔してしまいました。




なんとも傾奇者の慶次らしいエピソードです。