■#001 戦国時代っていつから?■ | みの吉の学校で教わらない戦国時代

みの吉の学校で教わらない戦国時代

群雄割拠の戦国時代。
戦国武将たちは自らの信念を持って必死に生きています。
そんな戦国武将から学ぶことはたくさんあるのではないでしょうか。

日本の戦国時代を中心に学校の授業では教わらない、
エピソードや戦国武将の名言・家訓などのご紹介をしていきます。

戦国時代は日本史の中でも人気がある時代ではありますが、

いつから始まったのでしょうか?
戦国時代













一般的な説は、



”1467年・応仁の乱”



が始まってからと言われています。


”人世むなしい応仁の乱””意志むなしく応仁の乱”


などの語呂もあるぐらい一般的です。





応仁の乱のきっかけは、

室町幕府8代将軍足利義政(よしまさ)の後継者争いによるものです。


義政の息子”足利義尚”(よしひさ)と義政の弟”足利義視”(よしみ)


のどちらが次の将軍になるかということで起こりました。



このときそれぞれの支援をしたのが、


”山名宗全”(やまなそうぜん)と”細川勝元”(ほそかわかつもと)


でした。





戦乱が始まった当初、



山名宗全 ⇒ 足利義尚


細川勝元 ⇒ 足利義視



をそれぞれ支援していたのですがいつしか、



山名宗全 ⇒ 足利義視


細川勝元 ⇒ 足利義尚



と逆転してしまったんです。

何ともいい加減な戦ですかね。



この乱は、宗全、勝元が相次いで病死したこともあって、

決着がつかぬまま終了。



最終的に足利義尚が将軍になった、

というのが応仁の乱のあらましです。



一般的にこれが戦国時代の始まりと考えられています。




しかし近年では、



”1493年・明応の政変”



からであるという説が有力になっているそうです。



明応の政変は、室町幕府10代将軍”足利義材”(よしき)が、

他家の家督争いに介入するため出陣していたところ、

細川政元(勝元の子)が京都を占領してしまい、

別の将軍を立ててしまった事件です。



これを機に幕府の権力は衰退し、

以降戦国時代が始まったというのが近年考えられている説です。