2010.3 [スタイル記]イ·ミンホ①~⑩~デビュー時からの本音を打ち明けようと思います~ | JapanMinoz白銀の月明かり

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배우 이민호 씨의 모든 걸음과 모든 시간을 응원합니다.

俳優イ・ミンホさんのすべての歩みとすべての時間を応援します。
~イ・ミンホ 이민호 LEEMINHO 李敏镐~

〆記事でごじゃいます(*^-^*)

 

さて、今夜は過去のミノの特集記事をUPしたいと思います。

 

たまたま見つけたのですが、2010年3月25日からスタートして全10回連載されていたミノのインタ記事です。

 

当時のミノの話を知るには良い記事だったので、①から読み始めて、気が付くと⑩まで読み終えていました(笑)

 

少し長い記事にはなりますが、①~⑩まで翻訳を終了しましたので、一気にUPさせて頂きます(*^-^*)

 

ただし、結構、長いので知っているところは斜め読みをして下さいませ💦

 

それではミノの若かりし頃のお話を、とくとお読みくださいませ(*^-^*)

 

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2010.3.25

 

[スタイル記]イ·ミンホ① 「今年の冬はスキーにハマっていました。」


[写真=スタウスエンタテインメント]


ドラマ「花より男子」のク·ジュンピョが初めて登場した時は、 「センセーション」に近かったです。 漫画で出てきたようなヘアスタイルにはっきりした顔、どこかで見たような気がしますが、思い出せない彼はまさにイ・ミンホでした。

『花より男子』でトップスターに入ったイ·ミンホを突然浮かび上がってきたという声もあります。 しかし、新人時代、彼も多くのオーディションに落ちる痛みを経験した俳優志望生でした。

そして『花より男子』に続き、彼は再跳躍の足場を築こうと思います。 ソン·イェジンと呼吸を合わせたMBCの新しい水木ドラマ『個人の趣向』を通してです。 これからデビュー後3年間、5本のドラマと2本の映画に出演した俳優のイ・ミンホが、デビュー時からの本音を打ち明けようと思います。」

 『イ·ミンホのスタイル記』は1回から10回まで続きます。(編集者)

 

[写真=スタウスエンタテインメント]

スタイル期のインタビューのために清潭洞のあるカフェで記者と会ったイ·ミンホは、ドラマ『花より男子』を始める前にインタビューした新人俳優イ·ミンホと違いがない様子だった。「ドラマ撮影中に暇をつくって今日はCM撮影をしました。」と言って笑うイ·ミンホはトップスターというより平凡な青年に近かった。

イ·ミンホは『花より男子』を終えた後、ちょうど1年ぶりに『個人の趣向』でカムバックする。 その1年の間、イ・ミンホの人生には多くの変化があった。10本を超えるCMの中のモデルになるほど自他共に認めるトップスターに仲間入りし、それだけ動きに制約も伴った。 しかし、それさえも気に止めない様子だ。

「今年の冬はスキーに完全にハマりました。 10回ほど行ったと思います。」人がたくさん集まるスキー場で思う存分滑ることができただろうか。「ゴーグルとマスクをかけていたので誰も気づかなかったと思います。 韓国ドラマ『花より男子』で親しくなったキム·ボムとも2回ほど一緒に行きました。スキー場は初めてだそうですが、あまりにも運動神経が良い友達なのですぐ習いました。」

最近、若者たちがスノーボードを楽しんでいるのに対して、イ・ミンホはスキーにこだわっている。 「私は技巧よりはスピードを楽しむスタイルなんです。直滑降のようなものです。 ハハ」

それでも2回ぐらいはばれた。「ご飯を食べる時は仕方がないじゃないですか。一旦顔を知っている方がいらっしゃったら、その時からスキー場に来たファンの方が【イ·ミンホを探せ】を始めます。あっという間に私が着たスキーウェアの色とゴーグルの形が広がります。 私は階段を下りたのですが、上がってこられた方達同士で『今日ここにイ·ミンホが来たそうだ』と会話をしているのを聞きました。(笑)」

 

[写真=スタウスエンターテイメント]

こんなイ・ミンホが演技をしたいと思ったのは高校1年生の頃だった。「入試演技だったと言いましょうか。(笑)雑誌のモデルの仕事をして、今の代表に会って演技をしてみることにしました。建国大学映画芸術学科に合格してから、本格的にオーディションを受け始めました。何回か失敗を味わった後、デビュー作EBSドラマ『秘密の校庭』にキャスティングされました。

「秘密の校庭」はきちんとした演技をした初めてのドラマなので記憶に残る。「今は親友になったパク·ボヨンと初めて会ったのもこのドラマでした。 無愛想なキャラクターで難しい演技ではなかったけど、演技についてはまともに分からない時でした。戦うシーンを撮影したんだけど、僕は本当に戦いました。それで指まで折れてギプスまでしたんですよ。 昨年までは「秘密の校庭」の再放送をやってくれたんです。テレビを見ていて私の姿が緊張しているのが分かったのでチャンネルを変えました。僕は僕が出演した作品は、よく見られないスタイルなんです。」



「秘密の校庭」撮影当時のイ·ミンホ。

 

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2010.3.26

 

[スタイル記]イ・ミンホ②「『走れサバ』早期放送終了、がっかりしました。」

 



[スタイル記]イ·ミンホ①から続きます。

デビュー作EBS「秘密の校庭」はかなり満足できる結果を出したが、イ·ミンホには試練が待っていた。 大きな交通事故に遭ったのだ。右側の太ももと膝の2ヵ所に鉄芯を打ち込んだので、どれほど大きな事故だったか見当がつく。

「まる7カ月は病院で横になっており、おかげで1年半も休まざるを得ませんでした。『思いっきりハイキック』や『9回裏2アウト』などの出演を約束していたため、彼の事故はさらに痛烈だった。

そして病床を回復して意欲的に準備したドラマがSBSドラマ『走れサバ』だった。「私の初主演作品なんです。初放送の時は主演という負担感で眠れませんでした。作品自体が演技をちょっとオーバーしなければならないので、そのようなプレッシャーも少しありました」

パク·ボヨンとは、この作品でもまた会った。「当時は高校生の役をできる俳優たちが多くなかったからです。 オーディションに行く度によく顔を合わせ、『走れサバ』にも一緒にキャスティングされたんです。パク·ボヨンはその時も演技が本当に上手でした。」

しかし、マンガのようなドラマを標榜した『走れサバ』は8部で早期終了してしまった。「もともと16部作だと思って始めたんですが、6部を撮る途中で知りました。8部で終わるそうです。視聴率も視聴率ですが、制作会社と放送局の間に問題が少しあったようです。初放送も計画された日より、一週間延期されました。」



[写真=スタウスエンタテインメント]

早期終了したドラマだからといって、苦労しなかったわけでもない。「漢江にはまるシーンがあったんです。 ワイヤーにぶら下がって本当に完全に潜水するようになりました。入ったんですけど、 誰も気にしてくれませんでした。車に乗ったら、体中から生ゴミの匂いがして、肌まで赤くなりました。」

こんなに苦労した作品だったので早期終了の知らせを聞いて胸がもっと痛かったという。「虚しいと言うべきなのか。 僕は本当に頑張っているのに、早期放送終了って言うから。私は自分が出演したからか、楽しく見ていたんです。(笑) 今も見ていると、 すごく面白い表情が出ています。」

このように痛い記憶を残したドラマだが、『走れサバ』は彼の次回作『うちの学校ET』のキャスティングに大きな影響を及ぼすことになる。

 

 

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2010.3.29

 

[スタイル記]イ·ミンホ③「私が芸名で活動した事実をご存知ですか?」

 



[スタイル記]イ·ミンホ②から続きます。

よく知られていないが、イ·ミンホはデビュー当時、芸名で活動したことがある。

「『秘密の校庭』を終えて芸名を使ったと思うんですが、約2年くらい芸名で暮らしていたと思います。 イ·ミンホという本名が平凡に見えたんです。所属会社の代表と相談して変えることにしたんです。いろんな名前がたくさん出ました。漫画の主人公のような幼稚な名前が溢れ出しました。ハハ。」

結局、決定された名前はイ·ミンホから「ホ」の字を抜いた「イ·ミン」だった。「決定的なのは映画『ビート』でチョン·ウソン先輩の劇中の名前が、イ・ミンだったんです。かっこよく見えました。」

しかし、イ・ミンに名前を変えてからは交通事故に遭い、これといった活動もなく過ごし、「走れサバ」をすることになった。「ところが、インターネットで"イ・ミン"と検索すると、すべて"海外移民"だけ出てくるんです。 だめだと思いました。」それでイ・ミンは再びイ·ミンホに変わった。

「『カン・チョルジュン 公共の敵1-1』に出演したキム·ナムギル先輩も芸名が"イ·ハン"だったのはご存知ですよね? 韓と移民の対決だったのです。 ハハ。」

イ・ミンホは自分の家族に対する愛情も特別なことで有名だ。「姉がいるんです。しかし、姉は「イ·ミンホのお姉さん」と呼ばれるのが嫌いです。それは以前の私も同じでした。プライドが強い兄妹です。 ハハ。」

しかし、イ・ミンホも姉を必要とする時がある。「正直、有名人だという理由でたくさん協賛を受けるとかそういうのは良くないですよね。なので最近は、何かを買う時には、姉の名前を使います。」

母親は、イ・ミンホのロールモデルだ。「厳しい時代、オーディションで何度も苦杯を飲んだ時代、絶望せずに粘り強く努力することができたのは母のおかげです。いつも母がそのように教えていました。」



[写真=スタウスエンタテインメント]

 

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2010.3.31

 

【スタイル記】イ·ミンホ④「キム·スロ兄さん、本当にありがとうございます。」


イ·ミンホ(右から2番目)の最初の映画となった『カン・チョルジュン 公共の敵1-1』。

[スタイル記]イ·ミンホ③から続きます。

2008年、イ·ミンホはイ·ジェドンPDの短編「僕にはわからないけど」とドラマ「アイアムセム」、映画カン・チョルジュン 公共の敵1-1」(以下カンチョルジュン)、「うちの学校のET」に相次いで出演した。

「『僕にはわからないけど』は個人的に印象深い作品です。 3週間撮影したんですが、 韓国津々浦々全部通いました。反抗的なアウトサイダー2人が旅に出る内容で、ミニシリーズでしたが、それでも「私が良くなっているんだな」と思えた作品でした。叱られたりもしたけど、何だかまともな演技をしている感じですね。ひときわ変わった気がしました。」

「カンチョルジュン」はイ·ミンホにとって初めての映画だ。 「何も知らずに演技をする時期ではないが、初の映画なのでときめきがあったようです。 カン·ウソク監督やソル·ギョング先輩のように、普段尊敬している方々と一緒にできて、さらに嬉しかったです。 その方達のエネルギーを貰った感じもするし 「映画俳優になったんだ」という感じもするし とにかく気分が良かったです。 映画はドラマとはまた違う雰囲気でした。 みんなで一緒にする会食の席も、 雰囲気が良かったです。」


「うちの学校のET」のキム·スロ(左)とイ·ミンホ。

続いて出演した「うちの学校のET」は親しい人たちも一緒に出演して楽しく撮影した。 「パク・クァンチュン監督が『走れサバ』を楽しく見たそうです。 そのため『走れサバ』に出演した俳優たちが大挙して『うちの学校のET』に移動しました。(笑)」

俳優のキム·スロと親しくなったのもこの時だ。 「キム・スロ兄さんが本当によくしてくれました。 本当に先生と一緒に気遣ってくれました。 それで楽な感じで撮影しました。」

キム·スロも16日、KBS第2テレビ『うなぎのぼり』に出演し、「私はスターを一目で見分ける。 『うちの学校のET』の時、イ·ミンホが国家代表級俳優になるということを知った。」と打ち明けた。 また、「最も上手なのもイ・ミンホだ。 イ・ミンホはトップスターになったが、よく電話をかけてくる。 とても愛らしくておかしくなりそうだ。」と冗談を言いながら「トップスターになると電話がなかなかできない。 しかし、イ・ミンホはそのたびに電話をかける。 電話がかかってくると、家族全員がすくみあがる。」と冗談のように語った。

イ・ミンホは当時の撮影時のびっくりエピソードも公開した。 「俳優とスタッフが、一緒にある食堂で海鮮ラーメンを食べていたんですよ。 ところで拳を使う方が、 食堂に現れたんです。 急に携帯電話で画像通話をしながら スロ兄に突きつけられました。 僕のマネージャーが『やめて』って言ったら、 マネージャーの頭を掴み、 ぐつぐつ煮えたぎる海鮮ラーメンを投げるんです。 マネージャーはやけどまでしました。 スロ兄さんがその方をやっとなだめて何もなく終わりましたがびっくりしました。」


「うちの学校のET」のイ·ミンホ、ムン·チェウォン、キム·スロ、パク·ボヨン、ペク·ソンヒョン(左から)

 

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2010.4.2

 

[スタイル記]イ·ミンホ⑤「ク·ジュンピョキャスティング、 記事を見て知りました。」


[写真=スタウスエンタテインメント]

[スタイル記]イ·ミンホ④から続きます。

イ·ミンホをこの場に立たせたドラマ「花より男子」は映画「うちの学校のET」の舞台挨拶に通っていた時期から縁が始まった。

「実は、私がク·ジュンピョ役にキャスティングされた事実は、記事を見て知りました。 それまではキャスティングされたことさえ知らなかったんです。」実は、イ·ミンホ以降も「花より男子」チームは多くの俳優のオーディションを行っていた。 「オーディションを受け続けていた俳優も多かったんです。 『頑張れ、代替は多い』という無言の圧力でした。 ハハ。」新人俳優には、冷酷な時代に違いない。

とにかく、イ・ミンホは、F4のリーダーク·ジュンピョ役にキャスティングされ、ク·ジュンピョに変身するための準備に入った。 「ク·ジュンピョは大富豪の息子じゃないですか。 乗馬、剣道、ゴルフ、水泳、習っていないことがありません。 その時学んだのが、演技生活に役に立つと思います。」

「クム·ジャンディ」ク·ヘソンとの出会いも実現した。 「監督が台本リーディング前に親しくなるように、一緒に食事をする場も用意してくれました。 でもぎこちないのは、しょうがないんです。 海外撮影分を見ると、 僕のぎこちない姿が見えます。(笑)」

実際に撮影に入ると、殺人的なスケジュールが彼を待っていた。 「私はもともとよく寝るので、一日に10時間ずつ寝るタイプなんです。 でも、「花より男子」の時は、1日1時間すら寝るのが大変でした。 どれだけ強行軍だったのか分かりますよね?」



[写真=スタウスエンタテインメント]

 

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2010.4.5

【スタイル記】イ·ミンホ⑥「花より男子」財閥ですか? 「カット」って言ったらボロボロでした。」


[写真=スタウスエンタテインメント]

[スタイル記]イ·ミンホ⑤から続きます。

「花より男子」の撮影を開始し、まもなく海外ロケが待っていた。 初の海外ロケ地はニューカレドニア。

「12日間撮影しましたが、12日間はバゲットと肉食ばかりしました。 フランス領だからか物価がすごく高いんです。 普通でご飯一食に4~50万ウォンだったと思います。 コーラ1本に1万5000ウォン位したから言いましたよ。 その硬いパンで12日間の三度の食事を3食食べると考えてみて下さい。」

ニューカレドニア撮影は食事だけが問題ではなかった。 「撮影も本当に休む暇なく行われました。 寝る時間がほとんどないんです。 撮影がない時はF4グラビアを撮るから 起きていたんです。 後で僕が、僕を起こすスタイリストを夢うつつに足で蹴ったそうです。 私は覚えていませんが。 眠れない、ご飯食べられない、暑い、ストレスが無意識にたまっていたようです。(笑)」

暑さも伏兵だった 「車のアイドリングは法的に禁止されていました。 車でエアコンをつけることができないから、暑さをそのままに乗り切らなければならなかったんです。 また原住民を見ると、歯を見せながら明るく笑ってほしいと言うんです。 そうでなければ連れて行かれるって。(笑)」



[写真=スタウスエンタテインメント]

しかもニューカレドニア撮影は、ク·ジュンピョとクム·ジャンディのラブラインが盛り上がっていた時だったので、親しく見せなければならなかった。 「序盤はまだ親しくなかった時でした。 でも本当に親しいフリをしなければならないので、 少し大変でした。 ク·ジュンピョとクム·ジャンディが浜辺を歩くシーンでは、水蛇も歩き回り、本当に気が狂いそうでした。」

「当時は、本当にカメラがついている時だけ財閥でしたが、『カット』という声が聞こえたらボロボロでした。(笑)『花より男子』メイキングフィルムを見ると、僕がノースリーブTシャツを着てボートに座って可哀想にバゲットを食べているシーンがあります。 その時は、生きていくために食べたんです。」

それでもマカオでの撮影の時は、楽に撮影できたという。 「撮影の方が、みんなホテルの中にいました。 ホテルの外に出ないで、2週間ほど気楽に撮影しました。 幸い、マカオではクム·ジャンディに背を向ける設定だったので、親しくなかったヘソン姉さんとも楽に撮影しました。ハハ。」

 

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2010.4.7

 

[スタイル記] イ·ミンホ⑦ 「1億以上のスポーツカーが紙切れのように…」


[写真=KBS]

[スタイル記]イ·ミンホ⑥から続きます。

ニューカレドニア撮影も大変だったが、「花より男子」を撮影中、最も驚いたのは交通事故だった。

「私が運転免許を持っていなかったのに、運転するシーンになったんです。 急遽、免許を取って臨時免許証が出た状態で運転しました。 その車がまさにロータスGP3でした。昨年1月ごろ『花より男子』の中で運転する姿を撮影していたイ·ミンホはガードレールに突っ込んでしまった。

「1億ウォンを超える車だったそうです。 ドンっと上に突進して、私は瞬間、車がガードレールを乗り越えると思いました。 体をケガしなくて幸運でした。 保険もしっかりしていてあまり心配はしなかったのですが、車が紙切れのようにつぶれてしまいました。 こんなに高い車が、 こんなに簡単に台無しになる(しわになる)とは・・・と思いました。(笑)」

このほかにも『花より男子』の撮影中には主演俳優たちの交通事故によく遭遇した。 キム·ヒョンジュン、キム·ボム、ク·ヘソンが皆交通事故に遭い、ク·ヘソンは4日間入院治療をしながら放送が1週間延期され、スペシャルが放送されたこともある。

「みんな忙しく撮影をしていたからだと思います。 一日に一時間寝るのが大変で、 暇さえあれば、居眠りしたんです。」

 


[写真=スタウスエンタテインメント]

 

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2010.4.9

 

[スタイル記]イ·ミンホ⑧「休む暇なく撮影して救急室に運ばれることも…」

 

[写真=スタウスエンタテインメント]

 

[スタイル記]イ·ミンホ⑦から続きます。

ついに「花より男子」が初放送を開始した。 「私も初放送をモニターしたんですが、本当に面白かったです。 私がいつも私が出演した作品は面白いからです。 ハハ。」

しかし1回目の放送が終わり「アンチ」が量産され始めた。 「1話が終わって『あの子の髪はどうしたの』 『脂っこい』こういう反応が多かったです。 でも、その方が良かったと思います。 インパクトある顔ぶれを見せて、 2話からは擁護してくれました。 もっと熱狂してくださったんです。 インターネットでも『花より男子』の話ばかりでした。」

ク·ジュンピョ、イ·ミンホがいわゆる「スターだ。」と感じたのは大邱での撮影だった。 「大邱で撮影に行ったんですが、本当にファンがたくさん集まりました。 約2000人くらいが来られたようです。撮影ができず、また戻っていきました。 『ドラマの人気が出たんだ。』と思いました。」

しかし、ドラマ撮影当時は人気をあまり実感することはなかった。 撮影日程がぎりぎりだったからだ。 「撮影のときは辛かった記憶しかありません。 休む日がな、撮影に入ったらしっかり演技して、すぐにまた寝たりしました。」

寝ることもできずに撮影をしたため、体に無理が来るのは当然だった。 「4日間ほど夜を明かしたようですが、目を開けていることすら大変でした。私がセリフをしっかり言っているのかわからない。私も知らないうちに演技をしているんです。」

「一度は氷のあるプールで撮影中に風邪をひきました。 体調が悪いことを感じましたが、次の撮影がラグビーシーンでした。ラグビーシーンの撮影の合間に嘔吐をして救急外来に運ばれたこともあるんです。」

それでも、イ・ミンホは、「ファンの応援にいつも力が出ます。 ただ、私がどこかに行った時、一瞬聞こえる歓声が好きです。 もっと大きければ大きいほどいいと思います。 そんなことがない時は寂しい時もあります。 多分、すべての演技者がそうだと思います。(笑)」



[写真=スタウスエンタテインメント]

 

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2010.4.12

 

[スタイル記]イ・ミンホ⑨「『花男』終わって誤解もたくさん受けました。」


プロモーション中のイ·ミンホ。[写真=スタウスエンタテインメント]

[スタイル記]イ·ミンホ⑧から続きます。


「花より男子」が終わり、イ·ミンホは一気にトップスターに浮上した。 ドラマがアジア地域でも放送され、彼は次世代韓流スターの先頭走者になった。 しかし、それだけに、はしかのような誤解も彼を伴った。

「最もよく耳にする言葉が、『人気が出たら変わった』という言葉です。」という言葉は、イ·ミンホ本人を知る人よりも、知らない人を通じて広まるものだ。

「本当にいろんな噂をたくさん聞きました。 『多くの女性芸能人に会う』『会社を移籍しようとする』というように、自分も知らない話が出始めました。 そのような話をよく聞くので、敏感になりはしました。」

彼と親しくしていた友達までそんな噂を聞いた。 「親しい友達が15人ほどいます。 その中で本当によく会う5人以外の10人は、私が本当に変わったと誤解していたんです。 後で会って誤解を解きました。(笑)」

それでもファンの愛があって嬉しい。 「空港でお尻をつねられてみたり、ドンっと子犬のように叩く人もいるし、頬を叩いたりする人もいます。 ファンサイン会では、本当に嬉しくて泣きながら震えている方々もいます。 そういう時は、私もどうすればいいのか分からず、戸惑います。 それでもファンの皆さんはマナーが良いです。」

ファンサイン会でお小遣いをくれたお婆さんも記憶に残る。 「照りつける日差しの中で座っているのが疲れて見えたんですよ。 前の方々に了解を得て、 先にサインをしてあげました。 ところが、そのおばあさんが孫に渡すように、小さく折った2万ウォンを私の手に握ってくれました。その時、ちょっと泣きそうになりました。」

イ·ミンホは中国、日本、台湾、中国など全アジアで爆発的な人気を博している。 「海外でも自分を好きでいてくれる方たちに会うと私もびっくりします。 こんなに多くの方々が喜んでくださって、 不思議でもあります。 ありがたいです。」


イ·ミンホ、シンガポールファンミーティング [写真=スタウスエンタテインメント]

 

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[スタイル記]イ·ミンホ⑩「あんなにたくさん笑った台本は初めてでした。」

 



[スタイル記]イ·ミンホ⑨から続きます。

ドラマ『花より男子』を終えて『個人の好み』に出演するまで、ドラマでイ·ミンホの顔を見ることができなかったのは1年だが、いざイ·ミンホ本人が休んだ期間は2~3カ月だけだ。

「2~3カ月は本当にゆっくり休みました。 スキーも一生懸命滑って、見れなかったドラマも再放送で見て、美味しいものもたくさん買って食べて、家でゲームもたくさんして。」

トップスターにのし上がったのだから、次回作が悩みになるのは当然のこと。 「プレッシャーは感じませんでしたが、演技が上手くなければと思いました。 たくさん悩みました。 「男らしいことをすべきか、でなければ明るいキャラクターをすべきか、という考えが強かったんです。 でもまだ若いから、明るいキャラクターをやってみたかったんです。」

これまでイ·ミンホの手に握られていたシノプシスと台本は数十冊余りになるが、イ·セイン作家の同名小説をドラマ化した「個人の趣向」を選んだ。 「台本を見ながらあんなにたくさん笑ったのは初めてだったと思います。 それで選びました。」

いったん出演を決めてからは演技に集中しなければならなかった。 「どうすれば演技がもっと上手くできるか悩んだんですが、そのうち色々考えちゃって、むしろ演技の邪魔になるんです。 動作の一つ一つまで計算するようになり、そうするうちに集中力も壊れます。 それでただ「自分がどんな雰囲気で、どんな感じで演技をすれば、より視聴者に近づけるか。」と、悩むことにしたんです。」

先輩のソン·イェジンと一緒に演技することになったのも彼の楽しみだ。 「ドラマ"恋愛時代"を本当に面白く見たんですよ。 私はソン·イェジン先輩のパク個人キャラクターが 「恋愛時代」のユ·ウノキャラクターの延長線上にあるようです。 「恋愛時代」のソン·イェジンさんを見ながら、 パク個人の姿を見たシーンがあるんです。」

実際、「個人の趣向」チームはソン·イェジンの提案で1泊2日で団体MTに行ってきた。 「近づくのが難しいかもしれないと思っていたが、MTのとき、姉はとても気さくでした。 一晩中作品について話をしました。 イ·セイン作家さんまでいらっしゃって、 話が終わりませんでした。(笑)」

イ·ミンホとソン·イェジンの熱演により「個人の趣向」は現在高い人気を集めている。 『個人の趣向』は彼が『きらきらスター』ではなく『演技派スター』になることを確認させるドラマになる見通しだ。

 

 

今までイ·ミンホのスタイル記を愛してくださったアジア経済新聞の読者の皆様に感謝いたします。

 

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いかがでしたか?(*^_^*)

 

私的には、知っている話ももちろんありましたが、知らない話もありました。

 

運転するシーンがあったから免許を急遽取り、事故った話とか、「走れサバ」の生徒たちがそのドラマを見ていた監督の好意?で「うちの学校のET」へ出演することになった話、またミノは何かを買う時、お姉さんの名前で買うとかね(笑)

 

私の知らない時のミノのお話にお付き合いを頂きまして、ありがとうございました(*^_^*)

 

このインタから11年の月日が流れ、今のミノは、確固たる韓流スターの地位を守り続けています。

 

ですが、これは並々ならぬ努力と自制心がないと簡単に転がり落ちてしまう地位だとも思います。

 

ファンをがっかりさせる行動をしないミノだからこそ、そして、ファンを魅了し続ける演技で私たちを楽しませてくれるミノだからこそ、だと思います。

 

以前から書いてはいますが、顔の良さなんて3日で飽きるんですよニヒヒ上差し←100年経っても飽きない顔の一例・・・

 

イケメンという武器だけだったら、そんなに人気は続かないと思います。

 

だって、イケメンなんてその時代時代にあった新しいニューフェイスが出てきますから。

 

そのような中でも、私たちのミノは、常に私たちに新しい顔を見せてくれて、楽しませてくれます。

 

こんなにも素敵な俳優に出会えたのは、ラッキーでした(*^_^*)

 

日常に楽しみが生まれ、人生の目的も生まれ、この年齢で恋心を抱けるのですからね!ウシシ

 

ありがとう、ミノ!と声を大にして言いたいですなww

 

それでは、皆様!

 

今日はこの辺で、また明日♪

 

素敵な夢を見て下さいね(*^_^*)

 

 

ばいん☆彡ヾ(@⌒ー⌒@)ノ


追伸


寝る前にめちゃくちゃ美しいミノをUPしておきます(//∇//)




おやすみんほ❤(///ω///)♡