まだまだ若すぎて、少し不安定な体つきをしている僕。
作中では主人公達とは違う国籍の持ち主だった。
悲しい最期を迎えるけれど、幸せな気持ちで天に還ったかもしれない役だった。
色んな活動をしながらだったから、疲労困憊でもあったし、幸せだったし、思い出がいっぱい詰まった作品だった。
それを何故夫が今になって観ているのかなと思った。
子供たちがいるところで、「お兄さん」と「奥さん」のあれなシーンはちょっと困るんだけどさ。
珍しいことはもうひとつあった。
僕の役名と同じ名前の果物が実家から届いたのだった。
そう、桃。
モモ。
主人公と心が結ばれて、不幸で幸福な、男の役名。
秋なのに、初夏の果物が届いた。
贈答用の完成度がとても高いものだ。
桃の産毛がとても繊細だ。
これは絶対、美味しいやつ。
『じいじ、』
テミンが夫の膝の中からテレビに向かって指をさす。
『ちがうよーテム、あれはじいじじゃないよー、』
なんというか、僕からしてみれば、それこそ父親というか、じいじというか、そんな存在の人だ。
お元気ですか。
病気などはしていませんか。
健康にしていらっしゃいますか。
画面の中で動く年長者の俳優に向かって問いかける。
桃を剥く。
カットして冷蔵庫で冷やす。
甘くて豊かな香りが指先に残った。
『あ、まま、』
『えー、』
テミンが若い時の僕に気が付き、ミンホが目を大きくしてそれを覗く。
それまでだって出ていたのに、気づかなかったようだ。
でも、女装してる時の僕を見て気づくっていうのもな。
するとミンホが立ってテレビの前に立つ。
ああ、ミンホの身長がまた伸びたような気がする。
『ええー、』
テレビを下から斜めから覗いて画面の中の僕を見る。
自分でも自分の顔が幼いなって思ったり。
もう何年前のことなのだろう。
口紅を拭ってるあの感触を思い出したものだった。
それから夫は黙って鑑賞を続けた。
子供たちはウツラウツラしている。
そのうちしっかり眠ってしまって、パパの膝の中とソファの上とで寝息を立てる始末。
夫も寝ているのだろうかと思って、顔を覗く。
すると目だけが動いて視線が合った。
『…、どうした、の?』
多分そう聞きたいのは夫の方だろう。
目が合ってしまったからなんとなく聞いてみたけれど、忍び足で近づいて覗いてくる嫁がいたら、そう聴きたくなるに違いない。
夫の目はテレビの画面に向かった。
『いや、なんか、いい仕事してたなって、思って。』
『ありがとうございます。』
今もう一度振り返っても、そう思える。
大変だったけれど。
色んなところから、色んな声があったから。
それは今もそうだけれど、なんだろう、今とはその声の熱が違った気がして。
あの頃は僕達も周りも、そして多分待ってくれている人達も必死だったのかもしれない。
僕達を見守ってくれている周りが、特に。
『同じことしようと思っても、多分無理だよネ。』
『はい、そう思います。』
技術や経験とかではなく。
その時代、その時代の自分がもう違う気がするのだ。
この役をやれたのは、この時期の自分だったからだった。
今の僕はきっと、また違ったものにしかならない気がする。
『…、あの頃の俺と、今の俺の、お前を待ってる気持ちだって大きく変わったんだから。』
『え?』
夫は口を開けて寝る次男の頭を撫でた。
『あの頃は、お互いに色んなものを抱えすぎていたような気もする。』
『、』
物語がいよいよという場面に入っていく。
そして僕が、満ち足りた気持ちで召される瞬間がやってくる。
愛した男の傍で、旅立つ夜の映像だ。
僕は夫と子供たちの隣に座って、主演の役者と僕の役のやりとりを観ていた。
そのシーンを観ながら、忘れていること、忘れられないこと、色んなことを思ったものだった。
主人公が隣で眠る男の死を知った瞬間。
不思議と今現在の僕はとても満たされるものを感じた気がした。
主演を演じたその人は、その男の役を心から愛してくれていたことを、また感じたからだった。
相手役の俳優から愛されるって、本当になかなかない事だと思う。
愛着というものを飛び越えたものを感じたからだ。
そして僕も、この主人公を愛していた。
今だからそう思う。
あの頃はそんなふうに意識をしていなかったかもしれないけれど。
集中できる時間がとても少なかったから、切り替えが頻繁にあるサイクルだった。
今よりもその切り替えが忙しくて不器用だったから、自分の心の声をよくよく意識しきれていなかったのかもしれない。
それからそのまま、エンドロールまで言葉はなく見終えたのだった。
長男の頭に手を伸ばす。
髪を撫でる。
寝ている体を抱いて膝の上に乗せた。
すると長男の大きな目がかっと開いた。
『モモ!!』
『モモは終わったよ。』
『モモ!モモ!モモのにおいがするよ!』
『え?』
長男は僕の手のひらを掴み、くんくんと音を立てて匂いを嗅ぐ。
『あー、ママ、モモたべたぁ、』
『ああ、そういうこと、』
桃が大好きなミンホは、僕の手に残った香りを察知したのだ。
目敏いならぬ、鼻敏い。
『ママ、ぼくもモモたべたいよぉ、』
『うー、てむち、モモ、』
寝起きのテミンも目を擦ってお兄ちゃんの真似をする。
『わかった、わかった、みんなで食べよう。ほら、ふたりとも手を洗ってきて、』
『はーい!』
寝起きの子供たちが元気よく飛び出していく。
夫がテレビのリモコンを取り、DVDを止めた。
テレビに切り替える。
すると急に雑音が耳に入ってきた気がした。
『…、こんなふうに、お前と生死をかけた恋愛なんて、もうしないのかもしれない。』
こんなふうに。
夫は主人公と僕の役のことを言っているのだろう。
完成した映画のなかに、僕の役と主人公の恋愛感情が描かれているわけではない。
原作を読み込んだ僕が、いつかユンホに話したことがあった。
だから夫もそういう原作の背景も含めて見ていたのだろう。
『それがなんだか、物凄く羨ましくなった。』
この撮影をした頃と、今の僕達は違う。
この頃は、僕と夫はまだ結婚をしていなかった。
この頃はまだ子供たちもいなかった。
ただの男同士の、恋人だっただけだ。
恋愛と仕事をする大切な存在だった。
そして今は、自分よりも大切な存在になった。
子供たちのために、相手がとても大切だとも思えるようになった。
落ち着いてしまった。
他人も周りも僕達本人もそう言ってしまえるような程に。
自分より大切なものがより明確になった安定感。
それが、今。
この頃にはなかったもの。
この頃の必死さと、今の必死さは、絶対同じ色にはならない。
ああ、そういう違いなのか。
『でも、』
『はい?』
夫が僕を見上げる。
目が合う。
そして夫は微笑む。
『死ぬ時まで、俺とお前はきっとずっと笑ってるから。』
『、』
『寿命が来るその時に、また激しい恋をしよう。』
『ユンホ…、』
『命が燃え尽きるその瞬間、俺とお前で、恋をしよう。』
『…、はい。』
なんだか、とてもとても情熱的なプロポーズみたいだった。
不覚にも、胸にくる瞬間だった。
『モモぉーーー!』
『モモぉお、』
騒ぎながら手を洗っていた子供たちが戻ってくる。
キッチンに戻り、冷蔵庫で冷やした桃が入った器を取り出す。
『ああ~いいにおいー』
ミンホが待ちきれなくて僕の足元でうろちょろしている。
夫は立ち上がり、テミンを抱いて席に着いた。
『いたらきまー』
僕より先回りして席に着いたミンホは、「す」を言い切る前に、そして皿がテーブルに着く前に手づかみで桃を取って口に押し込んだ。
『あ、コラ、ミンホ!』
夫は子供用フォークをテミンに持たせて器を寄せる。
テミンがフォークで刺そうとしているところに、次々とミンホの手が伸びてきて桃をさらって行く。
やっとテミンが桃を口にいれた時、ミンホは口をパンパンにしていた。
『もう…、』
夫が笑う。
なんだか今日のユンホは、大人しいというか、なんというか。
夫なりに考えることが多かった休日だったのだろう。
僕達大人は、ミンホが寝ているのうちに食べることにしよう。
皿の中はもうあと一切れ。
『ねえ、ミノ、このひとっつは、テミンに食べさせてあげてね。』
『う、』
口から果汁を滴らせて、食べようと思って伸ばした手を止めた。
『うん、』
ミンホはそのひとつをテミンに譲り、テミンはフォークに刺して喜んだ。
『にーに、あーん、』
『、』
ミンホの大きな目が開く。
『いいの?』
『あーん、にーに、あーん、』
ふくふくとした頬が、ほたほたと笑う。
お互いにテーブルに身を乗り出しながら、桃を口に運ぶ。
その姿を見て、僕とユンホは笑った。
『もーもたろさん、ももたろさん、』
夫が歌う。
続いて子供たちが楽しそうに歌う。
『ひとつ、わたしに、ください、な、』
今よりも若い頃の自分達のもとに置いてきたもの。
ひとつ、僕にもくださいな。
あの頃の、自分の姿を探しながら、もがく様な恋をした時。
そんな激しい恋する気持ちを、ひとつ、僕にもくださいな。
ねえ、ユンホ。
もう戻れない、不安定な時期。
それはそれで僕達は幸せだったね。
自分を探すように、恋をしたね。
苦しい中で、恋をしたね。
そんな頃に、戻れない幸せを得たね。
2番を歌える僕に、家族みんなが驚いていた。
そうだよ、役のために覚えたんだもの。
役の中で教えて貰って、今でも覚えていたようだ。
そんな自分がなんだか嬉しくて、誇らしかった。
終わり🍑( ㅍ_ㅍ )6v6)ピト
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