消火訓練が終わると、びしょ濡れになった駐輪場を片付ける。
またキュヒョンにはみんなを引率して館内に先に戻って貰う。
訓練用のAEDやそれらに使う人体模型を運び出す濃いハンサムも先に向かった。
三番目のイケメンさんも濃いハンサムについていったようだ。
イケメンのリーダーが使い終わった消火器を消防車に積もうとしたときだった。
『冷て、』
ホースに残っていた水が跳ねて顔にかかってしまったらしい。
自分のなかのわりと乙女な部分が気をきかせてすぐに反応してくれた。
僕はお尻のポケットから出したハンカチを差し出していた。
『え、いや、その、』
驚いた顔で、
でも、
次の瞬間、また笑ってくれる。
『ありがと、』
それからハンカチを受け取って、濡れた頬や額を拭っていた。
水も滴るいい男過ぎる。
館内に戻りたくない。
もうこのままあの赤い車で僕を消防署に連れ去ってほしい。
僕の頭のなかはすっかり、このイケメンリーダーにどっぷりだ。
そう、頭のなかでね、ちゃぷんと飛び込んで腰まで浸かってる感じ。
リーダーに、ちゃぷちゃぷ。
『洗って返すネ、』
『えっ、そんな、』
いいです、なんて言おうとしたところに今度はしたたかな僕が顔を出してくる。
【返して貰うときまた会えるじゃん。】
職務時間外で、
カフェとかで待ち合わせしたり?
バーとか行ってみたり?
私服で図書館に着てくれたり?
やばいやばいやばい。
彼女いるのかな、結婚してたりするのかな。
やばい呼吸がおかしくなる。
『シムさん?』
『はいぃっ、』
フリーズしてしまった僕を見ながらリーダーはしっかりと僕のハンカチを上着のなかにしまっていた。
ああ、ダメだ。
もう、次は二人で会わなくちゃダメじゃん。
『行こっか、』
『…、はい、』
顔が赤くなってるんだろうなとか、もう、自分の顔がどんなことになっているか想像するのも怖かった。
こんな一目惚れ、初めてだ。
いつもなら、自分に気がある人にしか、自分の気持ちも進展とか発展しない。
顔を見た瞬間、僕のぜんぶを持っていってしまうような人は初めてだ。
ああ、完全に恋してる。
『あ、ユノがデレてる!』
デレているのは僕のほうなんじゃないかな。
『ドンヘ、』
そうだ、ドンヘさん、
そうだった。
いい加減覚えなくては。
いや、普通の訓練だったら一人の名前も覚える必要なんてないんだけどさ。
『準備できてる、シウォナが今皆さんに二人一組つくってもらってる。』
その言葉にふと、うちのスタッフと職員の数が奇数なことを思い出す。
誰か溢れるな。
あ、僕が最後まで残ってリーダーとすればいいのでは。
そうだそうだ、そうしよう。
ここは何も言わず、それとなくそういうふうに運ぶしかない。
ふふふ。
それから三人で館内に入り、入り口ゲートを過ぎて、カウンター前の一番広い場所にみんなが集まっていた。
横たわっている上半身だけの人体模型。
AEDの機械。
顔を輝かせる奥様たちと、ちゃっかりシウォンという濃いハンサムの隣にいるお尻の大きな男の子。
あっ、
キュヒョンのヤロウ、もしかして二人一組のバディを濃いハンサムと組もうとしているんじゃないのか。
抜け駆けは許さない。
説明を始めるリーダーの斜め後ろをしっかり確保して、メモを取りながらリーダーの指を探った。
指輪、指輪、指輪。
とりあえず、ひとつもなかった。
けれどもしかしたらこういう仕事の人って指輪はしちゃいけないのかもしれない。
憶測しても結局、結果は二分の一の確率ってわけだけど。
『では、胸部圧迫をする人と、AEDをする人で実践していただきます。』
ここで最初に見本の実演が始まる。
シウォンさんがAEDを使い、リーダーのユンホさんが胸部圧迫をする。
『誰か!誰かいませんか!人が倒れています、助けてください!』
真剣な顔で、実演してくれる。
思わず奥様たちに混じって僕も挙手をしてしまいそうだった。
『あなたは119番を、あなたはAEDを持ってきてください!』
叫ぶような声は、とてもかっこいい。
かっこいい以外に、適切な言葉がない。
うっとりしか、できない。
それから数を数えながら胸部の圧迫を始める。
僕の心も圧迫されすぎて苦しいんだけれど。
見ていれば見ているほど苦しくなるんですけれど。
ユンホさん、どうしてくれるんですか。
苦しい。
かっこいい。
メモを取るバインダーを抱き締めるしか、できなかった。
それからAED役のハンサムガイがやってくる素振りを見せ、使えるか否かのやりとりをする。
使える設定での訓練だ。
シウォンさんがAEDのパッケージを開き、手際よく模型にパッドを装着している。
『ショックを与えます!離れてください!』
男らしい濃いハンサムが声を発した瞬間、キュヒョンの顔が昇天していたことを見逃さなかった。
そしてうっとりしている。
ダメだこりゃ。
AEDが発動して、胸部圧迫を続けろと言う機械の声と同時にまたリーダーが速やかに開始する。
数回したところで、一通りの実演が終わった。
実演でもその気迫はさすがとしか言えず、図書館側の人間はため息を吐くばかりだった。
『じゃあ、やってみましょうか。』
奥様たちの各々の個性が取り入れた芝居が組み込まれた実演だ。
その度にどうしても笑いが起こり、講師側の三人も笑いながら手伝ってくれた。
僕とキュヒョンあたりが残るまでに来ると、リーダーのユンホさんが手をあげた。
『この辺でちょっとイレギュラーなケースをしてみましょう、』
リーダーが二人にアイコンタクトをした。
二人が頷く。
キュヒョンはやはりシウォンとのペアを狙っているのだろう。
離れずに立っている。
ここで事務室の電話が鳴った。
とりあえずとりに行こうとしたら、まだ実演していない女性が向かっていった。
『続けてください、』と先を促すと、リーダーは頷いてくれた。
『じゃあ、そこのあなたと、シウォンでお願いいたしましょうか、』
この瞬間のキュヒョンの喜ぶ顔といったら、長いこと親友をしてきた中でもだいぶ上位にランキング入りをするレベルだ。
キュヒョンがAED役で、シウォンが胸部圧迫。
どんなイレギュラーか知らされないまま実演が開始される。
キュヒョンがAEDを持ってきて開き、模型の胸と脇腹にパッドを貼り、ショックを与えるボタンを押すために人を払おうとしたときだった。
『ウニョギぃーー!ウわぁあ、ウニョギぃー!』
模型に向かいウニョギと叫び迫真の演技で飛びかかってくる。
何事だと館内の人間が目を丸くした。
『危ないから離れてください!』
シウォンさんがドンヘさんをひっぺがし、しかし負けじとドンヘさんが取っ組み合いをしている。
まるでドラマを見ているようだ。
あ、あれか、錯乱した家族が近づいてきた設定だったのか。
なるほど。
びっくりというか、結局シウォンさんに見とれていたキュヒョンが慌てて作業を開始する。
『はい、お疲れさまでした、』
ユンホさんの声で、キュヒョンの実演が終わった。
立ち上がるキュヒョンに手を差しのべて、キュンとした顔でその手をとった場面だって、見逃さなかったもんね。
なんなの、あの二人いい感じなわけ?
濃い人、そっち側の人だったわけ?
そんな感じはプンプンするけど。
っていうかドンヘさんが言うウニョギさんて、どんだけ好かれてるの。
なんなの、この消防署の人たち。
『じゃあ、残りは、』
リーダーの声で館内の全員が僕に視線を向ける。
電話対応をしにいった女性はまだ戻らない。
『シムさんは俺とやりましょうか、』
やりましょうか、とか、言わないで。
さて、どんなイレギュラーなケース設定なのか。
『では、シムさんもAEDの役でお願いします、』
『はい、』
そして実演が始まろうとしたときだった。
ドンヘさんとシウォンさんが両腕を突きだして奇声をあげながら近づいてくる。
これはもしや、暴走族。
『怪我人が居ます、近づかないでください!』
倒れている人がいることを周知させる実演らしい。
でも、ドンヘさんは止めなかった。
『ヘイヘイ、そんなことより俺とデートでもしないかかわいこちゃん。』
どうやら僕に向かって言っているらしい。
奥様たちの黄色い声が上がる。
僕はどちらかというとリーダーに言われたいんだけれど。
これはどうやら、シナリオにはなかったらしい。
シウォン氏に撤収されるドンヘ氏だった。
ここはここでナイスコンビネーションが出来ているのだろう。
奥が深い、消防署メンツ。
気を取り直して、再び実演が始まる。
AEDを開いて、パッドを装着しようとした時だった。
また至近距離で、緊張してきた。
うまくできるだろうか。
『この方はだいぶ体毛が濃いので、剥がしてください、』
『ハッ?』
突然のことに変な声しか出なかった。
体毛が濃いと、ショックを与えるときにあまりよろしくないようだ。
『パッドを一度貼って、毛を剥がすんです、模型なんでなかなか毛の実演はできませんが、』
『はあ、』
あまり胸毛はないけれど、その痛みを想像すると心が色々苦しくなる。
そしてこの最後の実演はイレギュラーの詰め込みらしく、ドンヘさんが外人設定でまたウニョギと叫んで近づいたり、シウォンさんが怪我人が女性と想定して回りを隠す説明をしてくれたりした。
以上です。
最後の最後で、ものすごく、疲れた。
このあとは質疑応答の時間。
みんなは話を聞くために椅子のセットをしている。
僕は事前に用意しておいた質問を眺めているとリーダーが僕のところへやってきた。
『あ、あの、これからこういった質問をするんですが、』
バインダーを覗かせると、肩を寄せてくる。
寄せてきた肩が、ぶつかる。
近い。
『ああ、はい、わかりました、』
ついでに僕も質問をしたい。
『あの、』
『はい、』
『つかぬことをお伺いしますが、』
『はい、』
『結婚してますか、』
『いいえ、』
そう答えてくれたと同時に、バインダーを持っている僕の手が掴まれる。
『彼女もいません、』
そこは聞いてないのに。
『僕も、いないんです、』
聞かれてもないのに。
『へえ、』
だからどうした。
互いに仕事中なのに。
『あ、二人がアイビキしているっ』
ほんと、期待させないで。
どんどん裏付けしたくなっちゃうから。
ドキドキ、緊急時対策訓練。
クサッ(´ρ`)
でも、もうちょっと続きます…
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