「座り込みとはこういう定義が辞書にはある。故に座り込みとは言えない」
に対して
「タラコが言う連続性を条件とすると定義された辞書を持ってこい」
ってのはイイワケとして成立していないし反論にすらなっていない。
「象とはこういう生き物です」との出典を指して「この猫は象といえるの?」
と疑問を提示している人間に対し
「猫は象ではないと記した辞書を持ってこい」というイイワケは
「お前の母ちゃんでべそ」でしかない。
タラコの肩持つわけじゃない。
いつもレッテル張りで辟易とさせられる。が、
彼は権威だとか権力、中身がないくせに自分を大きく見せようとする奴を
揶揄ったり追い詰めたりすることに情熱を魅せる場面が多い。
勿論そうでないところで発狂する事もあるが。
何が言いたいかってぇと
彼がそういった行動をとるという事は
あなたは彼にそう見られているって事だ。
「3000日も座り込みの抗議をしているんだ!!」
実際には、土日を除く天候に恵まれた日に限り
朝昼晩と僅かに人が居る事を3000日といった大きな数字を使い
「座り込み」をより大きな抗議に見せかけようとした。
その事を彼は笑ったのであり
そこへ些かの反論も出来ないがゆえに
恐らくは顔を赤くして「間違いとは言えない!!」と奇声を上げたんだろ?
自分達だってそれが誤魔化しであることを自覚していたから
「何が悪いんだ」と叫んだ。そうだろ?
反論すればするほどに「あ、実態はそんなモノだったんだ」と広まり
結局損をするといった罠にはめられている。そりゃ良い玩具だわ。
仮に私が
「食べ物を食べる以外の時間はハンガーストライキをしている」と主張した時に
あなた方はそれを認めますか?
「そんな事、大したことじゃない。無意味だ」としますか?それとも
「我々がしている事と同じなのだから当然認める」としますか?
前者ならダブスタ、後者なら抗議の意味が希薄すると思うよね?
どちらにしたって「信念に沿った抗議活動」などと言えるものではなくなる。
どっちにしろ「負け」になるやり取りをすることになる。恥をかきながら
それを罠にはまったというのだ。
立ち位置によっては「ばれた」が相応しいかもしれん。
気に入らねぇのは
たかだか抗議が、なにか上等で尊い活動であるかのように「受け取るべき」と
する連中であり、一言「沖縄が~」を持ち出せば配慮が当て然るべきと
考えている選民主義的な輩の事だ。
そんなモノに何かを譲る必要はない。
弱者や少数派を演じて優位性を獲得しようとする連中に何ら手加減は必要ない。
そんな優位性は承認しない。
たまにするボランティアで「自分は善人」だの「世界を憂いている」だのと
言えるわけがないのと。
広島だけが核を論じる事が許されているわけじゃないのと同様。
ましてや広島人だけが正しいなどと言えるわけがない。
朝昼夜と僅かに数十分の自称座り込みが「何かを分かった風」を齎すとすれば
大したコスパだとは思うが、それはあくまでもあなた方のグループだけに
通用する正当性であって、世間的には全く通用しないものなのだと。
カレーに添えるのはラッキョウか福神漬けか?
その程度の話でしかない。
「我こそはカレーを熟知している」
そうした拍付けのために「年間○○食カレーを食べている」と表明する人。
議論の正当性に対しては、本来そうした「飾り」は不必要であり、
より踏み込むのならそれは「誤魔化し」である。