成人の行動を一般論で妨げるには明確に基準がないとオカシイ。
ひとつの拠り所は法。
明らかに法律違反なら妨げた事も正当化できようが
当人が、損をしたり傷つくことなどが伴う事を理解しているならば
外野が「それでも妨げる」ってことを正当化できないと私は思う。
そうはいっても判断能力に欠けて居たりする場面もあろうから
後になって
「ああ、止めときゃよかった」との後悔は起きうる。
そうなった場合の言ってみればクーリング期間をより長くとることにより
失ったものが返却される見込みを用意するなど
健全な経済活動を妨げない範囲での対応で救える場面は作れる。
だが、宗教となれば話は別。
そもそもが作り話のようなものであって
話しが本当かウソか?効果があるのか無いのか?には期待が出来ない。
期待が出来ない作り話の上に帰依があったり寄進があることは承知なのだから
「返せ」とは言い辛いし、そもそもが対価として金を払ったわけでもない。
払うことで気持ちが良く(楽に)なったこともあろうから満足するのだろうし
後に「騙された」との見解へ至ったとしても
判断能力を欠如させ、計画的にマインドコントロールしたことを証明でも
しない限り、外野からは手の出しようがない。
成人がそうした場面で確かな意思表示が出来ないという想定を
世間はしていない。
レイプが立件できない事、裁判で挫かれる事にはそうした理由もある。
メソメソと泣いて電車内でケツを触られているのなら
「好きでそうしているのだろう。だって抵抗もしないし声も出さない」
そう思われて仕方ないのだ。
随分前の話だが、イタリアで5人の日本人女性が立て続けてレイプされた
との裁判があった。一人の男性に誘われて5人で彼の部屋を訪れた。
刀(剣?)を持った彼は一人づつ犯し、結局全員が相手をさせられたそうだ。
無罪。
進んで彼の家に行ったのだし
抵抗をしていない。誰一人逃げ出さず助けを呼んだりすることも無く
ただ、部屋の隅でメソメソと泣き、犯される順番を待っていた。
嫌だという意思表示をしなかった。
逆から言えば
「まともな人間ならば抵抗くらい出来るし、その意思表示は可能なはずだ」
そう考えるから。
プレイの一種とされて終了。
最初の話に戻るが
成人が選択行動した事へは責任が伴うし自らに返ってくることなら
その責任を果たさなくてはならない。重いんだよ。
嫌ならはっきりとNOと言う事は大人の義務だと言って良い。
それが出来ない人はいずれ誰かに食い物にされる
「生きる能力を備えていない不適合者」なのだ。可哀そうだけれど。