乳がんの事-②長い夜が明けた日 | あなたに,も一度恋をする

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ご訪問ありがとうございます。

心温かな訪問介護ヘルパーさん達のおかげで

母の完全自宅介護が実現して1年半。

このまま自宅で最期を迎えられたらと思っていた矢先、

私の乳がん発覚で、自分の治療と

母の介護との両立のなか、

2023年11月に母が旅立ちました。

その時の記録を綴っています。

 

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前回の続きです。

 

12月最終週の抗がん剤がなくなり、

年を明けた1月半ばに手術入院をしました。

その間に迎えた年末年始。

母の逝去前に予約していたおせちで

夫と静かな年明けを迎えました。

 

母と30年同居していた私達夫婦にとって

母のいないお正月は

どこか空虚な雰囲気というのか、

ぎこちなさを感じる元旦でした。

 

そんななか、

テレビから飛び込んできた能登の地震。

すまじい被害状況が報道されている。

3.11に続いて未曽有の災害がまた。

しかも元旦に…。

お正月に帰省した家族を巻き込んだ

大災害…。

こんな事があっていいの?

元旦だよ…。

 

この災害の報道を見ながら、

自分の気持ちはますます鬱の世界に

沈んでいったように思います。

 

数日後から気持ちを取り直して

とにかく1月中旬の手術に向けて

身体の回復に努めなければと思い、

私は連日、

夫とともに焼肉ランチに出かけて

肉をたくさん食べる事にしました。

(夫は会社の家族介護で休める制度(有給)を使い、

1月から最長期間の3月下旬まで

家に居てもらえる事はありがたかった。)

 

その頃、

味覚障害も徐々に元に戻りつつ

食べれるようになってきました。

そうして1月半ば、手術前日の日に

病院に入院しました。

 

当日、夫とともに案内された病棟は

レディース病棟。

病棟の10室以上が個室になっていて、

大部屋の4人部屋は、わずかに3室。

そこに空きがなかったため、

私が案内されたのは、個室でした。

 

中に入ると長細い構造で、

簡易的なソファもあり、

ブラウンに統一された家具のある、

綺麗な部屋でした。

 

トイレも洗面も室内にあるので、

手術後、ドレーンをぶらさげて歩くには

近くて楽だろうなと思いました。

 

 

何より窓が大きくて、

見下ろす景色が開放的で

とても気持ちがよかったです。

夜景も綺麗でした。

 

 

心配な個室代ですが、

このお部屋はお風呂のない個室だったため、

お安い方の8800円のお部屋。

(お高い個室は11000円だそうで。)

 

患者が大部屋希望の場合、

個室を無料にしてくれる病院もあると

お聞きする事もありますが、

ここでは病院の事務方の人が来られて、

 

2日目から大部屋が空くまでの間は、

無料にしますので、

初日だけは個室代金の半額を

ご負担して頂きたいんです。」

 

と言われ、快く承諾しました。そして

初日から2日間、この部屋で過ごしました。

術後から翌朝までは、軽い寝返り以外は

身動きする事を禁止されていたので、

個室で過ごせた事はありがたかったです。

 

<この個室に飾ってあった絵が、とても素敵でした。>

 

そして入院した翌日に、

右乳房の摘出手術を受けました。

個室だったおかげで、夫は私の手術中、

この部屋でリラックスしながら待機できたと

喜んでいました。

 

ずっと待ち望んでいた手術。

悪い部分を1日も早く切りたかった私。

全身麻酔はもうこれで4度目ですから

恐怖心はありませんでした。

 

心配だったのは、

この手術で切除した乳房の精密検査で、

術後の治療が決まる事。

ハーセプチンパージェタ

2つの分子標的薬は術後12回は必須。

そこに以前と同じ抗がん剤が加わるのか、

あるいは無くす事ができるか、

はたまた、よりキツイ抗がん剤になるのか、

がんの顔つきで決まると聞いてました。

またあの抗がん剤を延々と続けれるとは

到底思えず。しかも12回も…。

そうなったら、今度こそ

完全に起き上がれなくなってしまう…。

 

そんな不安がよぎりながらも、とにかく

今は手術の事だけ考えよう。

スパっと切り取ってもらえる日が

ようやく訪れたんだからと思いました。

 

 

そして翌日の手術当日、

執刀医は担当の女性ドクター。

そして、なんとこの病院では、

手術に乳腺科の4名の医師全員が

立ち会っているのだそうです。

その中には乳腺科のえら~い部長先生もいる。

 

術後、その事を看護師さんから聞いて、

ええ~、

全員参加されてた?

なんて心強い‼

この病院を選んで、

ほんとによかったと思いました。

 

手術後すぐ、担当の医師が来て、

切り取ったセンチネルリンパ節検査では

リンパ節への転移なしが再確認出来た事、

それによって、そこから広がるリンパ節の

廓清(切除)がされなかった事を聞きました。

これでリンパ浮腫にかかる可能性が

かなり低くなりました。

心配事のひとつが無くなり、

まずはほっと胸をなでおろしました。

 

切除した乳房の痛みは

全身麻酔から目覚めたときも、その後も

全く痛みなしでした。

「1から10のうち、痛みはいくつですか?」

と決まって看護師さんから聞かれる質問に

ゼロって言っちゃおかしいのかなと思い、

「2・・2かなと思います。」

などと、答えてました。

 

術後2日目には、

難なく腕を上げる事が出来ましたが、

リハビリの方からは、

「まだ腕を上げないでね。

じょじょに上げていきましょう。」

と止められるほどでした。

 

そんな風に、何もかもが順調で、

入院食も全てを完食できました。

広い待合室に置いてあるユニマットの

緑茶も、とびきり美味しかった。

3日目からは地下にあるファミマに

ファミチキとカフェラテを買いに行ったり。

 

病棟の看護師さやリハビリの方、

栄養士さん、そして担当ドクター、

皆さん、本当に優しくて、

人の世話ばかりしてきた自分にとって

思いやりと気遣いを頂けた数日。

まるで別世界かと思うほど、

気持ちがほぐされた7泊8日でした。

 

そうそう、お風呂も、

手術翌々日から半身浴を進められて

病棟の浴槽に入ってきました。

とても広くて清潔で、身体も温まり

毎日の楽しみな日課でした。

 

 

 

そして同時に入院中、

能登半島で被害に遭われた方の事が

頭から離れず、

今、こうしてあったかい部屋で過ごし、

栄養のそろったご飯を食べれて、

お風呂にも入れて、

治療も受けれている事を思うと、

今、被災地で避難所で生活している人は

どんなだろう、、、

冷たい床の上で寝てるんだろうか…。

温かい物は食べれているんだろうか…。

持病のある人は薬を飲めているんだろうか。

そんな事を考えると、病院食のごはん一粒も

残しちゃいけないと思って食べていました。

そして退院後、被害に遭われた方のために

寄付をしようと誓い、

夫とともに我が家で捻出できるお金として

3万円を郵便局から寄付させて頂きました。

 

そして退院した3週間後、

予約した診察日を迎え、

病院へ行きました。

担当医から今後の治療方針を聞く日です。

手術をしてからこの日まで、

長く待たされた3週間でした。

 

術中に採取した生検からの結果は、


右乳房ーHER2陽性型乳がん

(リンパ節転移なし確定)
ステージ… 2A
乳房内転移あり・湿潤がん

大きさ3cm

 

そしてがんの顔つきを判断する数値は

Ki67…5%

(5%は進行速度の遅いおとなしい顔つきのがん)

 

当初、担当医から

「進行の早いがんである可能性が高い」

と言われていましたが、

実際、採取した検査では

おとなしい顔つきと言われる、

進行性のゆるやかなタイプである事が判りました。

上記の『Ki』 というのは、

それを診断する数値です。

 

2つあったがんは、

頑張って4回受けた抗がん剤も効いて、

かなり縮小していました。

ただCTやMRTでは発見できなかった、

微小ながんが、切り取った生検の中に

1つ見つかったそうです。

しかし、この大きさであれば、

全体的にがんが広がっていなかったという

判断になり、

切り取った後の今の身体には

問題ないでしょうと言うお話でした。

 

心配していた術後の治療ですが、

今後の予防のために

抗がん剤は引き続き接種されるのか、

そればかりが気がかりでした。

そして先生から、私の待ち望んだ言葉が。

 

「もうこれなら、抗がん剤はしなくてよいと思います。

分子標的薬だけでいきましょう。」

 

生きた心地がした言葉でした。

あぁ。。。もうあの副作用で

苦しまなくて済む!

パージェタの激痛とも、さようなら!

もう抗がん剤は終わったんだ!

そう思うと心に羽が生えたように

軽やかな気持ちになりました。

 

今後も引き続き、

HER2たんぱくを抑える為に

3週間に一度、

2種の分子標的薬を12回受けるわけですが、

先生のご提案で、点滴を打たずとも、

太ももに5分かけて注入するフェスゴという

皮下注射に切り替える事になりました。

血管に針を刺される注射恐怖症の私に

ご配慮くださった先生からのご提案です。

これで数時間かかる血管への点滴が、

5分間の太ももの皮下注射で済む。

これにより、通院もうんと楽になります。

(フェスゴはハーセプチンとパージェタの他、

 2種類の薬が入った薬で 3週間に一度の間隔で接種する。

 昨年12月に認可されたばかりの画期的な新薬)

 

もちろんこの分子標的薬にも副作用があり

唾液量や鼻水がたくさん出てきますし、

それらが微量、

気管に流れてる感じがあって

咳が出ますし、だるさもあります。

また、心臓の鼓動の不整脈の回数が

かなり増えているのは気になる所です。

これらが悪化すると

深刻な状態を引き起こす事もありますから。

 

そして

この12回のフェスゴ治療法に加えて、

採取した生検に

骨から形成されたと思われる女性ホルモン

が検出された事から、

抗ホルモン剤の錠剤を、毎日服用する事が

加わりました。

(アナストロゾール錠1mgを毎朝1錠)

同時に、骨粗しょう症の治療のための

年1回の注射も組み入れられました。

(リクラスト点滴静注液5mg)

今はそんな風に

術後の治療を継続中です。

 

どなたかの歌の歌詞で

『明けない夜はない』というのが

あったように思うのですが、

抗がん剤がなくなった事を

医師から聞いたこの日、

私の長かった夜が、

ようやく明けたのだと思いました。

 

 

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今日も長文におつきあい頂きまして

ありがとうございました。

一人でも多く乳がんの早期発見のために出来る事を

書きたい情報があります。

長くなるので、続きは次の記事に書かせて頂きます。

明日も良い日となりますように。