死後の手続き-1 生前に資産管理の引継ぎを | あなたに,も一度恋をする

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ご訪問ありがとうございます。

心温かな訪問介護ヘルパーさん達のおかげで

母の完全自宅介護が実現して1年半。

このまま自宅で最期を迎えられたらと思っていた矢先、

私の乳がん発覚で、自分の治療と

母の介護との両立のなか、

2023年11月に母が旅立ちました。

その後の記録を詳細に綴ります。

 

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母は自分の老後に

子供達に金銭的負担を

かけまいとする人でした。

「少しでも子供に多く残してあげないと。

老後にお金がかかるから。」

それが母の口癖でした。

 

生前の母はそれなりに楽しみをもち、

友人と旅行にも出かけていましたし、

趣味の習い事もたくさんありましたが、

どれもつつましいものでした。

そしてそんな中から、

老後にかかる病院代や施設代、

そして葬儀代を充分払える額の

お金を残してくれていました。

 

もしそうでなければ、

葬儀はお寺なしの直葬で

済ませていたと思います。

 

私夫婦が母の元で同居したのは、

今から31年前でした。

母がまだ60歳、私30歳の時です。

同居当初から、

私達夫婦は自分達の生活費を母に渡し

母はその生活費と自分の年金を合わせて

やりくりをしてくれていました。

2世帯が折半して暮らす形です。

 

光熱費などの公共料金は、

全て母の口座からの引落しでした。

 

こうして母は娘から信頼されて

やりくりをまかせられていた期間が

何十年も続いていたので、

母と私とに(金銭における)信頼関係は

築けていたのではないかと思っています。

(互いに借金を抱えていない事も

 信頼関係が築けた要因と思います。

 お金において、いつもクリーンな関係でした。)

 

そうして暮らした期間が長かった事もあり

老齢者がいきなり子供家族と同居した事で

起こりがちな、金取られ妄想や、

家乗っ取られ妄想が、母に起きた事は

一度もありませんでした。

 

母が80歳を超えた頃は、

まだまだ頭が冴えていて、

母は利殖の勉強をしつつ、

株式や信託、外国債、保険商品など

数多くのものを分散保有していました。

(と言っても、どれも少額です。)

 

けれど、84歳をすぎたあたりから

母は次第に家計簿への記録が滞り、

やりくりが億劫になってきます。

私と、つり銭のやり取りが即座にできず

数字の計算が苦手になっていったのです。

母はそんな自分を

「最近、私、おかしくなってきた。」

と口にするようになっていました。

 

その頃、遠方に住む母の姉が亡くなり、

それをきっかけに、

母は自分の寿命を不安視するように

なりました。

 

私もその叔母の死をきっかけに

母がもし、突然亡くなったら、

いったい母に幾らのお金があるのか

まったくわからないという現状に、

はたと気づき始めました。

 

預貯金の大まかな額は

母から口頭でざっくり聞いていましたが

果たしてそれが事実なのかどうかも

わからない。

どの銀行にいくら預けているのか、

通帳を見た事もなかったのです。

そして母に不測の事態があった時に、

いつでもお金を引き出せるように、

母の資産を知っておく必要が

あるのではないかと問いかけ、

それに同意した母から、

今あるすべての通帳や証券などを

出してもらい、

一つ一つ確認を取りながら、

これらを詳細に記録していきました。

 

そして母と話しながら、

外国債や信託など、

為替が関係する複雑なものについては、

母が動けるうちに解約し、

取引きのある銀行3行に

集約してもらう事を提案。

母は快く同意し、後日、私同行のもと、

解約手続きに行く事になりました。

 

そのうちの一行ですが、

信託のあった大手M銀行に二人で行った際、

解約するにあたり、記入する書類が

次から次へと出され、その数、10枚以上。

そうしてあっという間に閉店3時になり、

時間切れ。

翌日、改めて出直す事になりました。

 

この銀行は、

バスで30分もかかる場所にありましたから

老いた母と2日がかりの通いは大変でした。

それでも当時の母は普通に歩けていました。

これがあと数年遅れていたら、

母はもう歩けなくなっていただろうし、

母の認知状態も落ちた状態となり、

銀行側から手続き出来ないと

言われたかもしれません。

(認知症患者の口座凍結)

 

母がまだ頭が冴えて、

自分で書類にサインが出来、

自分の意思で

解約の理由を伝える事が出来る状態で

手続きを行えた事は、

本当によかったと思っています。

思えば、あれが母を連れて行ける、

限度ギリギリの時期だったと思います。

 

これを機に、

母の資産はスッキリまとめられ、

資産状況を把握しやすくなった事は

良い事でした。

と同時に、visaなどのカードも、

年会費の有無を問わず、

全て解約手続きをしました。

(これらをせずにに家族が亡くなると、

 遺族は株式やネット銀行などの存在を知らず、

 相続し忘れてしまう事も多々あると思います。)

 

そしてまとめた資産内容を、

私だけでなく、姉にも書面で渡し、

姉妹双方が把握する状態にしておきました。

(姉妹での信頼も大事な事です。)

 

その後、私が母から通帳とカード、

銀行印鑑や実印、家の権利証、年金証書、

保険証書など、重要なもの一式を預かり、

管理・保管する事になりました。

 

その後、私が全面的に

生活全般の財布を任されるようになったのは

母が87歳のロングショートの

施設利用を始めた年からです。

 

もうこの頃には、母は私に、

「私の貯金って、あるの?」や、

「それって、いくら位あるのかしら。」

「え、私って年金をもらえてたの?」

などと聞くようになっていきました。

 

そして90歳目前で、

体力もいよいよ落ちていく母を見て

(亡くなった時の準備のために)

支払いのある光熱費やNHK、火災保険の

加入者名義を、全て母から夫に名義変更し、

夫の銀行口座から引き落としするように

手続きを進めていきました。

 

母の口座から引き落とされるのは、

自宅の土地建物にかかる固定資産税と、

介護施設、訪問看護、訪問医療、

介護用品のレンタル会社のみになりました。

 

生活していく上での必要なパイプラインの

名義変更、口座変更を済ませていた事で

母の死去後、

しなければならない事が、

その分、軽減出来ました。

 

 

そんな経緯があり、

私は母の預金額を把握出来ていましたので、

どの程度まで葬儀代を捻出出来るかを考え、

その範囲のなかでなら、惜しまず、

出費しようと決めていました。

 

そして葬儀とお寺にかかった費用は、

母の死去後、母のキャッシュカードで

引き出したお金で、

姉も私も、一切の費用を立て替える事なく、

葬儀費用を賄う事が出来たのです。

 

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追記

今日も長文におつきあい頂きまして

ありがとうございました。

何かのお役に立てる記事になっていれば幸いです。

母のかかった葬儀費用やお寺さんへの費用は

次の記事で公開させて頂きます。