老人独居の危険-17(強制連行入所) | あなたに,も一度恋をする

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はじめに

 

この記事は不快と思われる内容があるかもしれません。

でも、同居する家族がいないと、

こんな事が起こるという事をお伝えしたくて

記事にしています。

あくまで叔父と叔母における事例です。

すでに二人とも亡くなっていますで、

これは回想記録です。

 

この時叔父は亡くなり、

叔母は1人暮らしになって、

介護サービスを使うようになりました。

79歳‐レビー小体型認知症

本態性振戦もちで、

いつも身体が左右に大きく振れています。

歩行はすでに困難を極めていました。

栄養不足のため、体重は30㌔を切り、

骸骨のような姿でした。

 

息子は叔父の死後、

お嫁さんと息子がそれぞれ週に一度

隣の県から見にきてくれますが、

しょせん週に一度の数時間、

大ざっぱに分かっても、

詳細は把握できません。

結局、介護に関するキーパーソンは、

隣に住む姪の私が

担わざるを得ませんでした。

 

 

************************

 

この話は、施設入所を拒否する叔母と、

入所を願う周囲の方達との

攻防戦です。

そして決着日の日を迎えました。

 

(前記事)

 

 

私はケアマネさんから、

要所要所は聞いていたものの、

叔母親子とは

無関係にさせて頂いてたので、

私は叔母宅に行くこともなく、

この日が過ぎるのを待っていました。

叔母を入居させれるはずがない!

と思いながら。

 

この日あった一部始終を、

後日ケアマネさんから聞いた内容も加え、

出来るだけ詳細に記します。

 

この日の朝早く、

訪問看護師の方の携帯に

電話がかかってきました。

かけたのは叔母。

 

この訪看さんは、

看護ステーションの部長職の方で、

叔父が生前、大変お世話になった方です。

いつも大らかで、笑い声の絶えない

すこぶるお仕事の出来る方です。

 

この時、叔母の受けている介護サービスは

訪問介護のみで、看護は不要でした。

この方とは知り合いではあるものの、

叔母の介護サービスにおいては

無関係になります。

 

 なのに叔母は、この方に電話をかけ、

こともあろうか

自殺予告をしたのでした。

 

「私は施設に入れられるんや。

施設に入るくらいやったら

死んでやる。

近所に大きなため池があるから、

今からそこに行って、

入水自殺する!」

 

 

(↑ミュンヒハウゼン症候群ですから、

悲劇を演じて注目を浴びるのが目的ゆえ、

実行するはずなし!

ですが他人様は驚きます。

 

受けた訪看さんは、真っ青。

電話を切って、すぐにケアマネに連絡。

ケアマネもこれを受けて青ざめる。

そして自殺を阻止する為に、

ケアマネはすぐにヘルパー派遣会社に電話。

今すぐ直行できるヘルパーを、

叔母宅に向かってもらうように要請。

同時にケアマネも叔母宅に

向かってくれました。

 

この日、

住宅型有料老人ホームの車の迎えが

午前11時に、

叔母宅に来る事になっていました。

その時刻までに

お嫁さんが来るはずなのですが、

自殺予告があったのは早い時間で、

お嫁さんは、まだ到着しておらず。

 

叔母は、電話をかけた訪看さんに

自分が嫌がる施設入所を

何とかしてもらいたいと思ったが叶わず。

今度はあの男に電話。

あの男とは、叔父と叔母を40年間、

アコムにしていた、あの、男です。

 

 

ケアマネから緊急出動を受けて

ヘルパーさんが叔母宅に到着したとき、

叔母は家の中にいて、まずは生存確認。

この後、お嫁さん到着。

 

叔母を落ち着かせるため

話をしようとすると、

玄関のインターフォンが鳴る。

 

ヘルパーさんが出てみると、

「お迎えに来ました。」と、

タクシー運転手が立っている。

ヘルパーさん、意味わからず…。

叔母は自分が呼んだと言う。

 

ヘルパーさんは運転手に、

「行先はどちらと聞かれてますか?」

と聞くと、運転手は、

「三重県と聞いてます。」

 「三重県?」

 

これを聞いたお嫁さんは、

『あの男の所だ!』とビックリ仰天。

 

叔母は施設入所を拒否するために

県外逃亡を計画したのです。

 

ヘルパーさんは、この事態を

ケアマネに電話。

内情を知ってるケアマネは

 

「そこに行かせたらあかん!

何としても、行かせんといて!

時間稼いで!

今そっち向かってるからっ!

悪いけど、タクシーの運転手に、

帰ってもらうようお願いしてっ!

絶対乗せたらあかん!

ほんま、ごめんやけど、

頼むでっ!」

 

と指示。

 

それを受けたヘルパーは頑張る。

 

「申し訳ありませんけど、

お引き取り頂きたいんです。」

とタクシー運転手にお願いする。

 

すると奥から、

「アタシは行くんや!

そこ、どいて!」

と叔母。

 

タクシー運転手はヘルパーに向かって、

 

「お宅は誰ですか?

私が予約受けてるのは、

あの方で、あなたじゃない!

と一蹴。

 

そりゃそうです。

タクシー運転手さんだって必死です。

大阪から三重までなんて

5万円は稼げる大きな案件ですから。

 

叔母はお嫁さんの手をふりほどき、

鞄を持ってタクシーに乗ろうとする。

 

「運転手さん、とりあえず、

少し車の中で待って頂けませんか?

本人と話をしますので。」

とヘルパーさん、頑張る。

 

叔母、身を乗り出して玄関から出てくる。

お嫁さんも引き止めようと、

外に出てくる。

行ったらたらダメ、行く、ダメ、行く

押し問答が続く。

 

そして叔母は、

近所じゅうに聞こえる大声で叫んだ。

 

「アタシは今から三重に行くんや。

邪魔せんとって!

あの人(あの男の事はなぁ~、

うちに来たらええよ~て

言うてくれたんや。

1か月も2か月でも、

好きなだけ居たらええって。

 

アタシは、アレら(あの男とその親族)に、

どれだけ尽くしてきたと思ってるんや。

さんざん尽くしてきてやったんや。

茶碗と箸だけ持っていったら、

あとは食べさせてもろたって、

罪はないんや!

そのくらいしてもろて、当然や!

どんだけ、今までしてやったか。

 

これからは、あの人らに

自分の面倒みてもらうんや。

今からアタシはあっちで暮らす。

そういう話になってるんや。

だからタクシーで行くんや!」

 

乗り込もうとする叔母、

それを引き止める二人。

身体と身体のぶつかりあい。

その押し問答のすごさ。

 

狂人が発するような叔母の声が

鳴り響く。

隣家にいた私は、

この声を聞いて興ざめしながら、

窓から見ていた。

 

あのやせこけた叔母の身体の

どこからあんな力が出てくるのか、

叔母の執念というか、怨念というか。

今まで私が見た事のない

叔母の激高した姿。

 

ヘルパーさんは平謝りしながら

タクシー運転手に向かって言う。

 

「お願いですから、引き払ってください。

頼みます。お願いです。」

と。

 

一連のこの騒動を見ていた運転手、

 

「そやったら、ここまでの待機時間分、

払ってください。

うちもタダでやってるんちゃうから。

払ってくれるんやったら、帰ります。」

 

そこでヘルパーさんは

叔母をお嫁さんにまかせ、

自らの財布を家の中に取りに行き、

運転手が要求した額の支払いを

建て替えてくれたのだそうです。

 

このヘルパーさん、

本当に頑張ってくださいました。

怖かったでしょうに…と思います。

 

そこにケアマネの車が到着。

到着して車を降り、

叔母の顔を見るなり、

 

「あ~、●●さぁ~ん、

心配したんやよ~!

さ、家の中入ろう。

さ、入ろう、

まずは入ろう!」

 

そう言って叔母を家の中に入れました。

そしてこの後、ケアマネさんは

叔母の話に耳を傾けながら、

三重県の親戚に行くのはいいけど、

まずは息子さんに、その話をしよう。

でないと、息子さんが心配する。

息子さんのために、

今日、出発するのはやめよう。

明日こっちに来れるそうやから、

明日まで待とう。

 

と説得。

叔母は息子というキーワードを出され、

少し落ち着いたのだとか。

 

それからしばらく経って、

車の横滑りドアの開く音がして、

見ると、施設の車が

予定の時刻どおり迎えに来ていました。

 

嫌がる叔母は、

「さぁさ」と、ケアマネに誘導され、

玄関前に連れて来られると、

1週間前に見学した際の、

あの男前の若い男性スタッフが

車の中から出てきました。

 

「●●さん、お迎えに来ましたよぉ~。」

と声をかけられ、叔母と対面。

 

このトラブルを知らないこの方の、

なんと明るく、癒しのある声でしょう。

 

「アタシは行かへんのや。」

と言うものの、声のトーンは

明かにダウンしていました。

 

「さぁ、●●さん、気を付けて。

足上がりますか~?

大丈夫ですかぁ~?

お待たせしましたね~。」

 

「アタシは行かへんのやって!」

 

「そいじゃあ、●●さん、

この手すり持って下さいね~。」

 

「いや、そうじゃないんや~、

アタシは・・・。」

 

これを見ていて、

このスタッフさんの

誘導の上手さに感心しきり。

普段からなさっている

認知症の方と同じく

叔母へも同じ接し方を

なさったのかもしれません。

 

ケアマネさんは叔母に、

 

「とにかく今日は、お世話になろう!

そして今後の事は、息子さんと

よ~く、話して決めよう!」

 

と優しく声かけしていました。

 

叔母は納得したのか、あきらめたのか、

それとも怒りをぶちまけ、

気が済んだのか、

真意は判りません。

ただ、その姿は

精魂疲れ果てているようでした。

 

 

叔母はそうして自ら車に乗りました。

お嫁さんは、家の鍵をしめて

荷造りした叔母の大きなバックを持ち、

叔母と共に乗り込み、

2人して、施設に向かいました。

 

『行ってしまった・・・。』

この意外な展開に

しばらく茫然としてた気がします。

 

ケアマネとヘルパーさんは

疲れ切った姿で、

施設の車が見えなくなるまで、

大きなため息をついて、

見送っていらっしゃいました。

 

********************

 

それから後の事はわかりません。

息子が翌日施設に行き、

どんな話をして、

どう叔母を納得させたのかは

不明です。

 

私には、この日の叔母が

最終的に、

自ら施設の車に乗ったとはいえ、

『強制連行』に見えました。

可哀そうだった。

 

”息子に期待した愛情”を受ける事が

かなわなかった叔母。

もっと違う形になれなかったのか、

その哀れさに胸が詰まった。

 

ただ、ひとつ、

付け加えさせて頂きたいのは、

ケアマネさんが入所を後押ししたのは

息子の(自己保身のための)動機とは、

明らかに違います。

 

叔母のこの時の体重は

数か月前の29キロから更に減り、

わずか26キロという状態でした。

異常なほどの痩せ方でした。

BMIで言えば、

生命危機レベル。

 

このまま独居を続けていけば、

ますます低体重の進行が防げず、

叔母の生命維持の危機に係わる。

その為の〝救出劇”でもあったのです。

 

そしてその甲斐あって、

入所が6か月過ぎた頃には

叔母の体重は29キロに戻り、

10か月経過した頃には30キロと、

徐々に回復していったのです。

 

薬物依存からも、

施設のかかりつけ医の監視の下、

完全管理で守られ、

医療事故が起こる心配も

なくなりました。

 

精神面では『強制連行』でも、

健康面では『救命救急』だった激動の1日。

この日の事は、

今も私の脳裏に焼き付いて

離れる事はありません。

 

叔母に尽力を尽くしてくださった

ケアマネさん、

この時来てくださった介護ヘルパーさん、

ご迷惑をおかけした訪看さん、

たくさんの介護関係者の方が加わって

実現した叔母の入所。

 

この画面をお借りして、

深く感謝を申し上げたいです。

 

*******************

 

今回も長い文章に

おつきあい頂きまして

ありがとうございました。

 

叔母の入所後の記事は

また後日に

書かせて頂きたく思っています。

 

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ありがとうございます。