はじめに
この記事は不快と思われる内容があるかもしれません。
でも、同居する家族がいないと、
こんな事が起こるという事をお伝えしたくて
記事にしています。
あくまで叔父と叔母における事例です。
すでに二人とも亡くなっていますで、
これは回想記録です。
この時叔父は亡くなり、
叔母は1人暮らしになり、
さまざまなスッタモンダがあって、
自宅から徒歩10分に建った
新設の住宅有料老人ホームへ
入所するようになりました。
介護度は2
79歳‐レビー小体型認知症
本態性振戦もちで、
いつも身体が左右に大きく振れています。
歩行はすでに困難を極めていました。
栄養不足のため、入所前は26㌔に落ちて
骸骨のような様相でしたが、
入所後は、僅かづつですが、
徐々に体力を回復していきました。
この施設に、叔母は364日
お世話になりました。
その間の記録です。
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前記事
叔母はケアマネさんをはじめ、
介護関係者の方のお力を頂き、
無事、叔母は施設へ入所しました。
桜が散り、新緑が美しい、
4月20日の出来事でした。
ここからは、叔母、施設入所後の
記事になります。
叔母が入所したのは
自宅から徒歩10分の場所に
新しく建った『住宅型有料老人ホーム』。
木造2階建てで、
全室が8畳程度の個室。
全49室ある中規模施設です。
見た目はハイツを大型にしたような
そんな外観です。
要介護1以上の方が入所でき、
(叔母はこの時、介護度2)
認知症の方も、
(その症状によるそうですが、)
入居も可能な施設です。
この施設では、
入所時には一時金の支払いがあります。
(特別養護老人ホームの場合は不要ですが
それ以外の施設は、大抵、必要。)
OPENキャンペーンの年でしたので、
25万円のところ、10万円安く入れる枠で
契約出来ていたようです。
毎月の定額費用も、
食費込みで16万円弱。
(但し水道光熱費は別途加算。)
この基本料金だけだと、
叔母の遺族年金の範囲で払える額です。
その他の出費はあるでしょうが、
老人ホームの高額な所では、
毎月20万や30万かかる所も珍しくなく、
息子夫婦は、
この程度で押さえられてよかったと
胸を撫でおろしていました。
入所者は途中退去も可能でしたし、
外泊・外出も出来ました。
ただし、これら外泊・外出においては、
ご家族の許可あるいは同行が必要です。
そのため、入所者の出入りは
個室からダイニング迄の行き来に限られ、
外に出る為の玄関に出るには、
しかるべき理由を問われ、
ロックされたドアをスタッフに頼んで
開けてもらわなければなりません。
(ちなみに、私の母が入所している施設は、
これを『身体拘束の一環』とみなし、
ドアのロックは解放されており、
自由に行き来が出来ます。
ただし、広大な館内であるからこそ
出来るもので、小規模・中規模施設では
なかなか出来る事ではないと思います。)
保安上、徘徊防止のためにも、
そうした防止策を取っている施設が
ほとんどだと思います。
そのため叔母は
『ここは刑務所と変わらん!』と言い、
杖を使って歩行訓練するにも、
10mの廊下を行ったり来たりしか出来ず、
『歩く道も選べないんやで!』と、
入所時からずっと、姉である私の母に
不満をもらしていました。
私は叔母が亡くなる2か月くらい前に、
叔母と息子を車で送った際
たった一度ですが、
部屋に入った事があります。
窓が東側にある部屋で、
その時の時刻が夕方だったためか
窓からの陽は差し込まず、少し薄暗かった。
窓は高い位置に設置されており、
窓を開ける事は出来るものの、
太い面格子がありました。
叔母が毎晩窓を見ては、
『私はここで死ぬんかな・・・
そう思うと、いつも夜に泣けてくる。』
と言ってた言葉が蘇り、
窓の向こうのアルミの面格子が
なぜか、鉄格子のように思えました。
それ以前に、
私はこの施設とよく似た施設で、
母の親友の85歳になる方の入所施設に
母と共に面会に行った事がありました。
叔母と同じく8畳位の小さな個室でした。
長年使い続けた古びたタンスが設置され、
その見覚えのあるタンスは、
私が幼い頃に遊びに行ってた時から
オバサマの家にあったタンスでした。
そしてタンスの上には、
若い頃からの夫婦のアルバムや
お孫さんと撮った近年のアルバムが
たくさん重ねられていました。
お孫さんからもらった
『おばあちゃん、お誕生日おめでとう!』
の直筆の手紙も壁に貼られていて、
ベッドの脇には、
娘さんやお孫からもらったぬいぐるみが
所狭しと並べられていました。
『おば捨て山(施設)に、捨てられたよ。』
と言って笑うオバサマでしたが、
ご家族から、ご親族から、
たくさんの愛情を注がれているのが、
部屋からじんじん伝わる思いがしました。
この時、入った叔母の部屋には、
そのような物はほとんどなく、
使い続けた愛着の家具も持ち込まれず、
息子がニトリで購入した簡易ラックと、
小さなテレビ、そして
客用の椅子として持ってきた、
正座用のしびれ防止椅子があるだけ。
(寺の僧侶からもらった
高さ30㎝の折り畳み椅子)
閑散としたそっけない叔母の部屋。
『あのオバサマの部屋とは対極だ。』
と感じたものです。
その部屋で過ごした364日、
叔母の脳内に映っていた光景は
こんなだったかもしれません。
施設には専任のケアマネがいて、
大抵の場合、
入居以前のケアマネから、
バトンを引き継ぎます。
しかし叔母には
悲観的かつ被害妄想的思考があるゆえ、
家族からの希望もあって、
今までの敏腕ケアマネさんが
引き続き担当してくれる事になりました。
叔母の性格や傾向を
知り尽くしているケアマネさん。
息子達はほっと安堵していました。
そして息子はケアマネさんから、
以下の事をお願いされていました。
・叔母が入居してから施設に慣れるまで、
週に1度は面会に行ってあげて欲しい事。
・可能であれば、住み慣れた自宅に連れ帰り
一泊させてあげて欲しい事。
ケアマネさんが叔母の心情を察し、
寂しさを少しでも緩和できるよう、
指示のような形で
強くお願いした事でした。
息子夫妻はそれを忠実に守り、
お嫁さんは毎週水曜日に面会に行き、
息子は隔週の土曜日に叔母を連れて
自宅で一泊する日々が続く事になります。
そんななか、
叔父と叔母を長年アコムにしていた
あの三重県の男の娘が急接近してきます。
あの男ではなく、その娘。
亡くなった叔父の姪にあたります。
なぜにその娘がっ?!
この男も、その他親族ひっくるめ、
叔父の親族は、
叔父の脳手術の際に見舞いもなければ、
電話もよこさなかった人達。
兄弟のなかで
一人だけ養子に出された末っ子の叔父は
彼らにとっての真の兄弟ではなく、
ただ血が繋がっている事だけを利用した
便利屋に過ぎなかったと
私は思っています。
お金がいる時と、
保証人が必要な時だけやってきて、
人の良い叔父を利用していた親族。
叔母もまた同様に便利屋にされていた。
その親族の、今度は姪が、
叔母の施設入所を機に急接近し、
お嫁さんを震え上がらすのでした。
次の記事は
『親族にご用心!』
今回も長い記事におつきあい頂きまして
ありがとうございます。
たくさんのフォロー、
『いいね』を、ありがとうございます。
****追記******
この記事のなかの施設の印象は、
数か月前に夫を亡くした叔母の喪失感や、
叔母のレビー小体型認知症の妄想傾向、
さらに叔母独自の性格や特徴的傾向が作用して
施設に抱いた感情です。
家族間との関わりや、その関係性においても、
入所された個々、
施設で暮らす心理は大きく異なると思います。
この記事に記載した叔母の印象が、
全ての施設入所者が共通して抱く心理ではない事を
ここに補足させて頂きます。