先日から聴いているのは、スクリャービンのピアノソナタ。
なかでも「幻想ソナタ」は絶品の美しさで、南洋の海をイメージして制作されている作品。
この作品は、作曲のレッスンの時、先生から
「minntaさんが好きな作品は、このような作品ではないかと思ってね。」と楽譜を持ってきてくれた。
うっとりするようなこの作品には、それなりの制作意図が構造にあって、
和音ももちろんだけれど、左手の連符が縦線をまたがって作られてる。
そのため、独特の浮遊感があって、幻想的な雰囲気に仕上がってる。
優れた作品は、分析すると、そうした謎解きが出来るようで、やっぱり分析は勉強になると感じた。
また、私がじかに演奏してもらったピアノ曲のなかでも、
スクリャービンの響きは何とも言いがたく美しい。
CDを聴けば奇麗だと感じても、生のピアノの音を間近で聴いて美しいと思えない作品も多いけど、
スクリャービンだけは別。
スクリャービンのピアノソナタはいいな。大好きです。
※最近、通勤の車のなかのCDは、マリアカラスのCDから、
ディティーユのピアノCDに変わりました。
ディティーユも、私の先生が好きで、是非研究すべきだと薦められた作曲家でした。
メシアンの場合は、最初は「奇麗!」と思っても、飽きるので8分以上、続けて聴くには苦痛です。
(メシアン、好きくない!)
ディティーユの場合は、継続して聴けます。
音の粒がきらめくようで、最近、教授が私に言ってた「音は光りのオブジェ」というニュアンスが
ほんの少しだけわかるような気がします。(わかったわけではないです。)
オペラアリアのような「言葉の入った音楽」は、それなりに盛り上がったりしますが、
外国語でたとえ意味がわからなくても、人の言葉になった段階で、脳はとても活発に動きます。
理解しようと自然に脳が働いて、結果、楽しいながらも脳は強い刺激を受けますね。
でも、こうしたディティーユのような器楽曲の場合、脳の疲労が少なく、
軽くオシャレに聴ける脳に疲労の少ない音楽というところでしょうか・・。