あれは東京から帰省した5月のゴールデンウィーク。
実家に来た柴犬のちい子は、生まれて半年だった。
私は、母と、まだ幼いちい子をつれて、近くの大仙公園に行った。
大仙公園は、堺市が作った広大な公園。仁徳天皇凌に隣接する。
これがあの子にとって、生まれて初めての「散歩」だった。
芝生が茂る見渡しのよい公園。
木々も茂り、緑一杯の空気が気持ちよいのか、とても興奮してた。
ちょうど、この時期、タンポポが咲いていた。
タンポポは、ちい子が初めてみる花だった。
ちい子の亡骸を
母は保健所にひきとってもらうと言ったけど、
亡骸を乱暴に取り扱わられ、骨も戻ってこないことから、
母を説得して、ペット斎場で、焼いてもらうことになった。
朝6時にちい子の死を知って、大型スーパーが開店する9時過ぎまで待ち、
そこで、ちい子の好きだったお菓子の乳ボーロ、チョコも買い、
そうして柩の代用となる大きなダンボールをもらってきた。
花屋に寄って、柩に入れるかすみ草を店頭に置いてあった全部と、
たくさんのとりどりの花を買った。
泣きはらした痛々しい顔がわかるのか、どの売り場の店員も、
いたわりのまなざしを注いでいくれているようだった。
朝10時を過ぎて、ダァーさんがいつものように職場から帰ってきた。
「ちいが大好きだったダァーさんが帰ってきたよ。」そう言うと、
ダァーさんは、ちい子の亡骸を見て声をつまらせた。
葬儀屋に電話をして申し込むと、葬儀屋が
「何時にいたしましょうか?今でしたら何時でも大丈夫ですが・・。」
そう聞くので、
家族一人一人が最良のお別れになるよう、時間が欲しく
4時間後の、午後2時にしてほしいと返答した。
残り4時間、悔いのないことをしたくて
家族の写真を印刷した。ちい子が天国にもっていけるように。
そして一人一人がちい子に手紙を書いた。
ちい子の首には、固い首輪じゃなくて綺麗なラッピング用リボンを巻いた。
そこに、ちい子の名前と、我が家の住所を書いた。
天国で、神様に聞かれたとき、神様に読んでもらえるように。
そして、私は、どうしても、あの大仙公園で咲いていた、タンポポの花だっを柩に入れたかった。
あの花が、秋に咲いているのだろうか・・・。