もう何年も前のことだけど、ピアノソナタを作る作曲レッスンのとき、
先生がソナタ形式の構造を理解するためにと、
幾つか古典派の作品をもってきてくれて解説してくださった。
そのなかにモーツァルトの作品があった。
オーディオから音源を流し、楽譜をもって解説してくださる。
「ここから○短調、ほら、もう×短調に移調した!
ここから長調に移行!すばらしいね。モーツアルトは。」
そうおっしゃった。
「先生、素晴らしいですか?モーツァルトって。」
「素晴らしいっ!」
「どこがそんなに素晴らしいんでしょうか?」
「わからない?まるでオペラでしょ?」
「オペラ・・・?」
「うん。例えばココ、男性の声部とすると、ココは女性声部。
かけあうように作られてる。そう思わない?アリアだよね。
モーツァルトはすばらしい。モーツァルトはオ、ペ、ラ、の、人、だからね。」
あれから時が過ぎて、その間に西洋音楽史の授業を受けて、
モンテヴェルディのオペラ誕生から、時代とともに質の落ちたオペラを新しい形で復興させ、ゆるぎないジャンルの確立へと貢献したのがモーツァルトだと知った。
毎日、管弦楽の作曲で、じっくりオペラを聴く時間がなく、結局、学校を出てから、igaさんからお借りしていたモーツァルトのオペラのDVDを、時間をかけて鑑賞するようになった。
《フィガロの結婚》
《ゴジファントウゥッテ》
《偽りの女庭師》
《皇帝テイトの慈悲》
《魔笛》
《後宮からの逃走(誘拐)》など。
二重奏、三重奏など、いつ観ても驚きだ。
オペラブッファにふさわしいソナタ形式構造。
そうそう《フィガロの結婚》における、あの七重奏は、傑作だった。
台詞がまったく異なるものを、同時に歌っての一体感。
悲しい言葉も楽しい言葉も、長調で歌う。
バルトークのように、作品によって、好きか嫌いかが大きく変わる作曲家と違って、
モーツァルトはいつでもどれもがモーツアルト。
けれども、ど~してもソナチネを連想する。
小学生の時からピアノ下手くそな私が永遠抜け出せなかったソナチネ。
好きか嫌いかでいうと、どっちでもない。
それでもモーツァルトってモーツァルトなんだよね。
「モーツァルトはオペラの人。」
そう言った先生の言葉が、ちょっとだけ、今、わかる。
貴重なDVDの最後の1枚を、今日、鑑賞しました。
igaさま、長い間お借りしました。
もうすぐigaさんのもとに帰ります。
今後のオペラ鑑賞における比較として、とても貴重な教材。
igaさんに感謝です。
※そうそう、ソプラノの友人が言っていましたが
モーツアルトの歌は、簡単そうで、実に、ジッツに、むずかし~~~いのだそすです。