このオペラは少年が主人公。
童話「不思議な国のアリス」の「ワルガキ少年版」と言うべきか。
悪態をつき、手のつけられない少年。
その少年に、さまざまな物体や生き物が動き出して復讐する。
こうした場面が幾つも用意され、組み立てられている。
部屋にあったソファが、いきなり動き出し、歌いだす。
彼に壊されたティーカップが人間くらいの大きさになって、彼に襲い掛かる。
炎が、猫が、古時計が、こうして次々に登場し、少年に復讐する。
「お前は悪い子だ、本当に悪い子だ!」となじる。
このオペラの注目すべき点は、
オペラ開始場面、音楽がないこと。パントマイム的演出。
足ふみやオモチャの笛などだけが鳴り響く。
「音楽ですべてを進行させる」というオペラ本来の意義を否定した始まり。
場面が第二場面に移っても、管弦楽は効果音的役割に留まってる。
半分お芝居、半分オペラというべきか。アリアが極端に少ない。
私が驚いたのは、この場面。
少年がかんしゃくおこして破った絵本。
絵本のお姫様が出てきて歌う。
「あなたは私の世界をつぶした。どうしてそんなことしたの?」と歌う。
このとき、ソプラノは、音楽なしのソロで歌い出す。
そこに弱音でイングリッシュホルン(クラリネットかも。)のソロが次第に加わるのだけれど、
まったくの別旋律。
『な、な、なんと…歌のソロと管楽器のソロのみ・・。』
歌い手にとって、なんて、難題で、過酷なソロだろう。
少しでも音がずれたら、もう台無し。さすがにラヴェル。
それがなんとも美しい。
そしてこのオペラには、歌い手が多勢であるにもかかわらず、
「人」としての登場が極端に少ない。ほとんどが着ぐるみ。
合唱でさえ、「影合唱」が多い。
歌い手は顔を見せたい。人間を演じたい。
なぜならオペラは「人間」を伝えるもの。
それでこそ、歌いがいがある。
そして観客はオペラのなかの役というフィルターの向こうの歌い手の人生に出会いに来る。
私は、そんな風にオペラを捉えてる。
このオペラは、お菓子職人ラヴェルの作ったお菓子の詰め合わせ。
とりどりのラッピングに包まれた宝石のようなキャンディーたち。
美しい美しいラッピングは管弦楽。
観ているだけで幸せな気分になる。
でも、袋のなかの肝心のキャンディー、味がない。
「ドラマ性」という味がない。
音の唯美主義者、モーリス・ラヴェル。
やっぱり貴方は、管弦楽の人。