ヴェルディ「運命の力」 | あなたに,も一度恋をする

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今日はヴェルディのオペラを2本観た。
まず1本目に鑑賞したのが、「運命の力」。
これは、ヴェルディの第二期の後半の作品だという。
鑑賞していくうちに、なんとも美しい音楽が流れて、
「今まで観たなかで、一番音楽が美しい作品」だと思った。

物語は、主人公カラトラーヴァの悲運を描いたもの。
このオペラ、少し調べてみると、「人種差別」を題材にしてるという、社会的メッセージもこめた作品のようだ。
主人公のカラトラーヴァは、インカの血をひく男性。
その彼が、由緒正しき家柄の娘・女性レオノーラとの婚姻は認められず、かけおちでしか結ばれないことを悟り、ある夜、かけおちを決行する。
その夜、しのびこんだものの、レオノーラの父に見つかってしまい、護衛用にもっていたピストルが事故によって発砲し、レオノーラの父は、二人に「呪い」の言葉を吐いて、息絶えてしまう。
二人は殺人の汚名を背負って逃亡するものの、途中で不運にも二人ははぐれ、やがて別れ別れに。
カラトラーヴァは、彼女はすでに死んでしまったと思いこみ、絶望のなかで生きていたが、父の仇を討つために二人を追ってきた「レオノーラの兄」との偶然の出会いによって、レオノーラが生きていることを知る。
しかし、その時はすでに遅く、レオノーラの兄はカラトラーヴァの素性を知って決闘を挑み、その結果、カラトラーヴァに刺されてしまう。
本意ではなく、愛する女性の兄まで刺してしまったカラトラーヴァ。
彼を助けようと、彼は、礼拝堂のかくれ家の門を叩く。
そこから出てきたのは、別れ別れになったレオノーラ。
つかの間の再会に身を震わせる二人だったが、瀕死の状態の兄は、父の殺害に加担した妹に、父への復讐の刃を突き刺し、レオノーラは、兄とともに息をひきとってしまう。
一人残されたカラトラーヴァ。
そこで物語は終わる。


このオペラのなかで最も美しいと思えたアリアは、
レオノーラは、行き場を失い、最後の希望を託して訪ねた修道院の場面。第一幕第三場。
そこで歌い上げたアリア。
「主よ、憐れみたまえ」と歌うその旋律は、何気ない旋律のようだけれど、なんとも美しく伸びやかな旋律。その美しい旋律は、他の誰にも作れない、きっとヴェルディ独自の旋律なんだと息をのんだ。
そして、続く「修道院僧の合唱」
レオノーラの旋律をピアニッシモでひそやかに合唱する。
その美しさといったら・・。
暗闇のろうそくを手に歌う修道院僧の姿と、見事にマッチする。
こんなにも高貴で美しいシーンって、今まで観たオペラにはなかった。
「ヴェルディの旋律は美しい」とよく聞いていたけれど、
これほど美しいシーンは、過去になかったように思う。


先に鑑賞してた「椿姫」で感じた「少々のくどさ」なんかは消えて、
ヴェルディのオペラは、こうして、年月とともに、どんどん洗練されていったんだと思った。

私が最も魅了されたこの第一幕第三場のシーンの音楽は、
この作品の序曲にも用いられている。
「恐ろしい運命を表したさしせまる危機感」の旋律と、
「主よ、憐れみたまえ」の美しいアリアの旋律が、交互する。

最後のシーンでも、迫力に満ちたラストではなく、
死に絶えるように消え行くラスト、それはまさにCaland。

この作品を一言で言うなら、「透明感に満ちた・・」という表現がふさわしいかはわからないけれど、私には、そんな作品に思えた。
そして、その印象が深く焼きつくのは、こうした場面とは対比となる、非常にコミカルなシーンや、躍動する戦闘シーンが、合間に用いられ、緩急緩急じゃないけれど、それが交互に構成されているからこそ、こういう場面がより一層引き立ち、際立つのだと思えた。
すばらしい作品ですね。私のチョーお気に入りになりました!

ようやく、ここでヴェルディ独自の美しさに触れる事が出来、管弦楽も、「マクベス」の時のように、「管弦楽と歌」と個別に意識することなく、ぐんと溶け込んで一体になっているように思えた。

ソプラノの黒人歌手・レオンタイン・ブライスの登場の際、その容姿(お相撲さんのような)に、正直驚いたけれど、この伸びやかで透き通る声と、息が長い、おそらく相当に難易度の高いこの役を、見事に歌いきっていて、いつしか、おおざっぱな手作や体型が気にならなくなり、ドラマのなかにひきこまれるようになっていった。
ヴェルディ「運命の力」・・・傑作ですっ!!!

カラトラーヴァ候:リチャード・ヴァーノン
レオノーラ:レオンタイン・ブライス
クーラ:ダイアン・キスリング
ドン・ヴァーロ:ジュゼッペ・ジャコミーニ

指揮:ジェームズ・レヴァイン
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
演出:ジョン・デクスター
1984月3月24日