ブログで1度書かせていただきましたが、高松から転勤してきて、私が教え始めた生徒さんが急にうまくなり、
もと教えておられた先生から、アドバイスレッスンを頼まれて9年間、高松に通いました。
高松で教えた生徒さんが、どんどんコンクールに受かるようになり、「竹本先生は魔法使い」と生徒さんどうしの間で話してくれることもありました。
2日続けてレッスンするときは20時間いっぱいいっぱいレッスンをしていました。
体力的にはきっとまだまだできそうな感じではありましたが、
今年のピティナを最後に辞めさせていただきました。
完璧主義的なところがあり、高松の生徒さんがコンクールで受ける曲を、どう弾かせるか考えて、あらかじめ私流のマニュアルを作成して、高松の先生達にラインで送る作業をしていました。
自分の生徒さんと同じ曲ならいいのですが、
デュオなど、私が出さない級の曲想を考えるのに、相当な時間を費やしていました。
3月にピティナの課題曲が発表になったら、家にこもり、午前中はずっとそれを考える生活になります。この時間を、もっと自分の生徒さんに力を注ぎたいと思うようになりました。
9年間経つと、高松の生徒さんも大きくなって、新しく小さな生徒さんに入れ替わってきました。先生方も指導者賞をたくさん取られましたし、
「この辺で、丁度ひとくくり、おいとまもらおう❗」と決めました。
5年前、短いお昼休みにお弁当を食べていると
次にレッスンを受ける、小学1年生のMちゃんが、早めに来て、レッスン室で練習を始めました。
徳島県のほうからかわってきたばかりのMちゃんのタッチが、とても雑で、音を聴いていない様子。しかもピティナの課題曲を4曲適当に弾いてるのが聞こえてきました。
レッスンが始まって、「音を聴きなさい。丁寧に鍵盤の底までタッチしなさい。指の先に脳ミソ持ってきなさい」ってやってるうちに、Mちゃんが泣きだしました。
レッスンが終わってからも、Mちゃん大丈夫かな、もう私のレッスンは受けないかな
と気になっていました。
翌月高松にいくと、Mちゃんは来ました‼️
どんどん良くなってきて、本選奨励賞をもらいました。
3年生になってからは、松山の自宅にもレッスンに来てくれるようになってきて、
5年生の時はショパンコンクール全国大会も同行し、直前までレッスンをしました。
東京で一緒に食事をしたときに、最初のレッスンのことが話題になりました。
「いきなり先生が入ってきて、脳ミソを指先に持ってきなさいって言われて、怖いなぁと思ったけど、本能でこの先生はいい先生だと思ったよ。」
彼女の楽譜のスクラップにはこんな絵が書いてあります。(笑)
アドバイスレッスンは終わりましたが、Mちゃんのお宅にお邪魔して栗林公園の紅葉を見る約束をしてます。
竹本喜代美
