「能登半島地震」が発生した2024年のお正月以来、様々な仕掛けや作戦を練っています。
その中には先走り的に仕掛けておかないと追いつかないものもあったりと、この記事を書いている間にも、様々なアポがあって、「さて?どの案件のことだったかな??」なんてざらになってる。(ここは笑うとこよ)
抱えてしまうと、クリアするまで手放せなくなるのも「災害」時の特徴ですね。
これらは現地の社協さんなども経験なさるわけで、発災時から役務を背負っている人には「分担」出来るように組んでおかないといけなくなるんです。とはいえ、今回の「能登半島地震」では元日の夕刻に発生。年末から県外へ出向いている担当者を呼び戻す作業からスタートしたわけです。
緊急時の連絡網はどの部署でも作ってはあるのですが、発災時は「県外・管外にいれば自主的・自動的に拠点へ戻る」としてあるところはどのくらいあっただろうか?
役務を背負うということでいえば、国会議員でも入閣している大臣にも在京組が居ます。
非常事態に常に備えて東京を離れられないようにくくってあるんですね。
我々民間防災でいえば、「自分の拠点に戻らないと活動ツールが手にできない」のが事実。
こういう立場であることを意識付けしておくだけで、日ごろからの心構えが備わっていくのと、遠出するときでも緊急時を考えたセットも持って出かけたり、車に備えておく知恵がついていくはず。
私的には民間防災にかかわっておられる方々には↑ここをメインに考えていてほしいと仕向けてはあるんです。
ものにはやはり「タイミング」があるのは確実!
「こうしたい、こうあればいいかも」と考えが出てくるのはおおむね「事後」「事中」だよね。
今回も地震では上下水の復旧に手間がかかりすぎている。
日本の水資源は裕福な方なのに、手にできない苦痛。そして流せない不便。
人々には水へのリスクを説明しても、この苦痛は伝わりきることは無いと思ってる。
関連してトイレ問題にはこの当日まで考えが回っていただろうかとすら受け取ってる。
阪神淡路の時はてんこ盛りになったトイレ。
能登半島地震では地面に掘った穴で脱糞。工夫して簡易トイレや即席トイレを作っても消臭袋も凝固剤は無いし、手元にあるゴミ袋に代わるもので受け取って、それらを集積する場所を作るも積み上がる一方で、臭気を遮蔽するには地中に埋めるしかない。
じゃあこれが水洗トイレじゃなかったなら。個別浄化槽(俗にいう ぼっとん便所)だったなら?
ひょっとすれば心配なく使えていたかもしれないよね。
ならば非常時用に汲み取り式トイレが標準化されていてもいいのかもしれないと思ったのが一つあるんです。
アナログ時代の製品というのは、その時代の知恵が多いに入っていて、それらを進化させたデジタル時代となった現代では進化途上なんだろうか、電気や水という資源が途絶えると全く意味をなさない世になってる気がします。
ただ、アナログ時代の製品には人でも必要になることは覚悟しないといけませんね。
し尿処理にはバキュームカーもいるだろうし、施設も生かしておかないといけません。ここが被災して稼動しないと意味がないわけで、あちら立てばこちら立たずじゃデジタル時代と変わりないのかもと思ったり。
話は変わるのですが、今の若者はパソコンのキーボードが叩けないらしいですね。
先ずキー配列がわからないという人が増えているそうですよ。
これもデジタル進化途上の現象なんじゃないかな?!
それと私が知りたいのはオール電化の家はこの停電時にはどういう対応力があったのか?ということ。
この辺りってなかなか評判も出にくいと思いますよね。
我が家はオール電化にしてよかったわ~って話くらい飛び回っててもいい世の中だと思うんだけど。
さ~~てと
次いでな話ですが、発災後から民間防災としての動きをご存じの方から、ご協力のお話もあったりと、こういった企画屋の動きに興味をお持ちいただきましたこと感謝申し上げます。
また、先に災害機動通信隊茨城として開設の準備を行っておりましたが、今回の企画などをご理解いただけたご様子で、改めて「民間防災 茨城事務局」として動きたい旨の申し出がございまして、のれん分け的になるのですが開設の準備へと向かうこととなりました。
正式開設となります際には、当該事務局より発表いたしますので茨城県の方々にはが参画いただけますと幸いです。m(__)m