2024,01,27 民間防災の動きを一旦精査 Vr,3 正月1日~2日の動き(備忘録) | 民間防災 「防人 司」のひとりごと・・・

民間防災 「防人 司」のひとりごと・・・

民間の「危機管理者」として行事の「保安計画」「地区防基準」策定のお手伝い、活動グッズの企画・販売を手がけています。
各地で「民間防災」を起動する「防人」を募りながら、趣味や特技・資格・職域での非常時活動体の構築にもお手をお貸ししています。

非常に長い揺れを受けた元日

NHKさんをつけっぱなしで即時に「レスキューオレンジ」活動服に着替え、周囲点検で近くの街並みを見通しの分だけ目視した。

見たところ倒壊家屋も電信柱の傾きも無いようだ。

 

時間はまもなく日没。

橋梁も異常なさそうなので一安心して室内に戻り、NHKの番組にくぎ付けとなる。

 

こころなしに「津波」は?と思っていたところ、やはり「津波注意報」が出た。と思いきや「警報」に切り替わり、アナウンサーのすさまじい呼びかけが始まった。

頭をよぎったのが「3.11 東北沖地震」。あの時の光景が蘇ってきた。

「日本海側の津波」については以前にも私の講義(金沢市消防局での自主防講習会)でも取り上げており、「短時間で襲来するであろう日本海津波」とこころしていた。この話をいったい何人の人が記憶していただろうか。

 

さらには能登半島の外浦で発生すれば、「パラボナ効果で対岸の大陸側に反響し、これも短い時間で波紋が反復してくる」だろうという頭もあった。

 

不思議なことに、南砺市の活断層が動いたとは微動だに思わなかった。

 

「震源は能登沖」だろうと、勝手に思い込んでいた。

 

震度7のバッテン印(震源)をみて、あてが外れたと思った。と同時に、倒壊した家屋の光景が頭をよぎった。

 

内陸か~っ!!

 

まだ雪は降り積もっていない。古い家でも柱が太い家なら持ちこたえていないだろうか?!

 

古くから残っている寺もあるし、寺の作りは岩窟なはず。

残念ながらその望みは崩れてしまった。

元日は寝るに寝れない夜を迎え、進捗の無いテレビをつけたまま横になった。

 

翌日 2日

この時点ではこの場が物流停滞するとも思わなかったというのが正直なところだ。

そもそも初売りの仕入れは年末で発注調整している。

小売りの多くは早くとも2日が初売りで、個人商店は4日からというのが多い。

元日営業といえば、大手ショッピングセンター・コンビニエンスストア程度。

とくにコンビニは初詣客で賑わう神社付近の店じゃない限り、正月三が日の販売量は平時より減ることもあって、発注も少なめになっている。

しかもその品を運ぶ輸送会社自体が正月休業していたり、製造元が休業していて製品自体が動くはずもないのだ。

 

これが「元日発災のネック」になるとは気がつかないのだろうな~

 

テレビでは内灘町と津幡町の被害についても取り上げていた。

津幡町には民間防災の活動素材である「災害機動通信隊」の企画室を預けているスタッフの拠点がある。

すぐに電話をしてみた。

 

「水道がこない」

 

この一言で情報班立ち上げの準備をしていた手を止め、町で2日初売りのお店を訪れたが、店内商品の散乱などで臨時休業

 

まさかこの地も被災地となるとは・・・ いや、やはりここも被災地なのか(富山県南砺市では震度5強と推定発表)。と自分を納得させた。

ここで迷いがあった。

営業しているお店があるかないか?の瀬戸際の1月2日ということだ。

さて、砺波方面のお店をあたろうか、金沢市に出ようか?いつも通りの道(県道27号線)で金沢の杜の里まで出ようか?

砺波だと金沢向けに走るのには距離がある。ここは国道304号線で森本に出てみよう。と、金沢市内に入って開いているお店に入るも飲料水はすでに在庫がない。

森本から山側環状で田上方向に走り、道なりにオープンしている店舗に立ち寄るも同じ状態だ。

頭を切り替えてホームセンターに入ろう。ここでポリタンクを手に入れて水道水を詰めようと考えた。

 

その時に立ち寄ったホームセンターでは、元日休業で初売りとなる2日とあって、店内はまだ揺れで散乱したままでの営業となっていた。

店長にお願いし、店内を撮影させてもらったんだ。(こういうときもレスキューオレンジ活動服の効果は絶大。)

(※写真はカーマ田上店様の店内)

 

店内のお客様も「ここまでひどく揺れたのか~」と、自分のところと比べられていました。

 

この場では18リットルのポリタンクは青も赤も白もすべて売り切れ。

そこで農業用の小型のポリタンクを3つ購入し、水道水を入れて運ぶことにした。(案外高価だった~)

 

後は保水しないとな~

 

この付近には少し走れば行きつけのガソリンスタンドがある。そこで水道を借りようと考えたはいいが、「あっ 2日は休業だったな」と自問自答。仕方なく再度南砺市の拠点へ戻り、水道水を詰めて出直した。

一度通った304号線なので、通行可能ということはわかっていたので、森本から里山海道に乗り込んで目的地の津端市外へ向かった。

 

2024年の北陸地方は元日・2日と降雪も積雪も無いなんとも穏やかな天候で、足元が良かった分、移動するにも救われた感がある。

ただ、津端から内灘へ抜ける道路が奇形しており、続く揺れでも亀裂が増えているようにも窺えるのです。

「おそらく数日後には通行できなくなる」だろうと感じて戻ってきました。

 

まもなく発災から24時間だ。

 

この場を見ても、異常範囲がどこまでなのか?自分の居るところ、自分が目にしたところしかわからないのだ。

「調査にはものすごく時間を有する」と素人でもわかる状況になっていることを納得。

各自がいる場所の状況を一つのコンテンツに集積できないものか??とかねてからの思いがつのってしまった。

 

さて、ここまで来たついでだから県庁の災対本部に顔出ししようかな?と思ったが、召集された人が慌ただしく動いているのが想像できたので、日を改めようと再度「里山海道」で金沢市街方面に上ることにした。

 

しばらく走っていると、対向から「救急隊」の車列が見えてきた。

全国区で集まったDMATを含む「広域救急援助隊」だ。

我が車のドラレコには映像が残っているはずなので、時間のある時に抜き出してみようと思ってる。

 

2日に動いた民間防災【総合企画室】もこの日一日は食べ物にありつけなかった。

売っていないわけじゃないが、立ち止まって飯を食うという時間も惜しまれるんだ。

それと、住民に行き渡るほどの物量が無い。という気持ちもあったし。

 

以上 発災当時から24時間後の2日にかけての備忘録です。

 

追伸:この日にお邪魔したお店では我が姿をご覧なさった方々から状況についてのお声がけをいただきました。しかし、ひとたび外に出てしまうと流れてくる情報を逐次見て把握~判断ができず、的確なお答えができませんでした。この場にてお詫び申し上げます。とにかく、この日も続く余震で、その一報だけでもモバイルパンクかと感じるほどです。それに加え、現地付近に入り込んだ活動隊からの短編情報。すべてをモバイルに集中させるとバッテリーはバックアップバッテリー3本はゆうに使います。

この先、情報班を立ち上げる方には、電源確保可能な固定局でパソコンは最低2台をWi-Fi接続で、モバイルとタブレットを同期させて撮影可能にして移動局として用いると良いかと感じます。

先に発生した九州北部豪雨時にも同じ程度の台数を使いましたが、パソコンのWi-FiはWindowsが1台、SNSデザインで使うMacが1台という配置でした。

今回はMacを入れると3台のパソコンが立ち上がっています。

パソコンも1台では広げるページが多くなり、その内負荷がかかってメモリ不足となります。動きが鈍くなるとオンライン通信も画が出なくなるか、固まってしまうので要注意です。ご参考まで