車をどうするか問題
父の車で近所をドライブした。
やーっとこの車で走れたよー!
父が喜んでいるかは分からないが、私は少しミッション達成したような気持ちがあった。
家に帰ってきてから、なかなか車を動かせなかったけど、父が乗りたがっていた車をせめて私が運転せねば!となぜか思っていたのだ。
しかし折り合いの悪かった私は、この車を運転するのは初めて。
初めて運転するのは父がなくなったあととか、私どんなダメ娘…。
父の車は、かすかにタバコのにおいがした。
もう一年ほどはすっぱりやめていたが、それまでがヘビースモーカーだったからねぇ…。
まだ残ってるのかとびっくりした反面、懐かしいにおいに涙が出た。
あんなにタバコ大っ嫌いな私なのにねぇ…。
ああ、この道、運転してたのねぇ…。
初めて乗るからミラーの調節とかエンジンボタン操作とか私の車と違ってとまどったけど、当然父はスムーズに運転してたんだよねぇ…とか。
いつも自分の車では普通にしている信号待ちも、涙がボロボロとまらなかった。
見慣れたはずの地元は、父の車の運転席から見ると、まるで違う世界のように感じる。
父の車は不在だった三ヶ月の間でバッテリー上がっていた。
どうすればいいかわからない私はロードサービスさんへ助け求めた。
おかげさまで無事復活し、運転することができたのです。
担当のお兄さん、ありがとうございます。
担当者さんに、「車どうするんですか?」ときかれたけど、まさに今、悩んでるんですよねぇ。
自分の車もあるし。
でも来年で13年目。元々来年買い換え検討中だった。
そして今回の事。
父の車も10年目。しかも私の車より走行距離は多い。
①私の車継続、父の車を売るか廃車
②父の車に乗り換え
③両方手放し、新車に買い換え
④二台維持
現状は一旦④にしてます。
父が県外へ転院の際も、持っていきたがったずっと乗りたがっていた車。
結果、家を離れたらもう二度と乗れなかったのだけど。
直後は気持ち的に手放せなくて④一択でした。
そして49日が終わって少し冷静になると現実が見えてきた。
ハイ。維持費です。
うち、私の車は駐車場借りてるんですよ。
もし一台にすれば駐車場代はなくなります。
逆に今のままだと駐車場代+父の車の保険。
毎月約17,000円程かかります。
うーん。悩みどころ。
大きい車と小さい車なら用途わけて乗り分けもできようが、どっちもサイズは変わらないし。
高校卒業したての免許とりたての子供でもいれば良かったんだけど。
車乗れるのは私だけ。
母は③をすすめてくるけど、そんな簡単に言わないでー。
買うのは私なんだから。貯金が一気になくなる…。
父のお金使わせてもらえと言われたけど、うちの父は財産はほとんど残してない。
残してくれたものはお墓代に使わせてもらいたい。
ああ、お墓問題も考えないと…
うちは色々ややこしくて、私、二つのお墓管理することになるのかもしれません…
跡継ぎじゃないのに…
友人から、結婚が決まった知人のお祝いメッセージ依頼が届いた。
素直に、おめでとう!!という気持ちと、自分の状況を比べて自分勝手に少しへこんでしまった気持ちと。
父がなくなったあたりから出産報告やら相次いでる。
年齢的にもうないかな?と思っていたけど、最後のラッシュなのかしら。
私の周りに同年代の独身はいない。
一人っ子もほぼいない。
ましてや独身一人っ子のなんて皆無。
私だけ天涯孤独待ったなしなのかと思うと心細くて落ち込む自分が嫌。
遺品整理&終活!
ってことで、家の整理しなきゃなのに、全然すすみません…
自分のものすら全然捨てられない…。
全然終活になってねぇ笑。
世間はお盆
自分には関係なし。
お仏壇やお骨、遺影は全て、母宅にあるから、この家にはないんだよね。
つい最近49日終えたところで、父も七日間毎の修行を終え、無事空へ旅立ったはず。
初盆っちゃ初盆だけど、まだそっちにのぼったばかりで即Uターンで戻ってくるんだろうか。
家にいるならお酒でもご一緒したいけども。
世間はお盆だよねぇとスーパーとか行くと感じる。
なんかこんなに世間には人がいるのに、自分だけが取り残されてるなぁという感じ。
まずは汚家をどうにか片付けなきゃなんだけど、どこから片付ければいいのか。
父の物の整理とか以前に、家がものが溢れすぎて。
収納しきれない狭さなのに、捨てられないからひどいことに…。
親のものは手をつけづらいし…。
そんなこといってもしょうがないからやるしかないけど。
大掃除してメルカリで売る?とか思うけど腰には鉄アレイがついているようだ…。
でもこれを機会に、私の終活にしようとも思っているので、いろんなもの手放さないと。
多分まだそれ考えるには早い年なのかもしれないけど、境遇的に色々身軽にしておくにこしたことはない。
色々辛い思いもさせられたし、どうにも合わない親子でしたが…
狭いはずのこの家が、一人だと寂しいよ。
状況的には最近はほぼ一人暮らしだったのであまり変わらない状態っちゃ状態ですが、実際に家にいないことよりも、もう一生この家に戻ることはない。
その事実がなんとも痛むのです。
あんなに嫌いだった父ですが、会いたいよ。
色々嫌な思いばかりさせられたけど、生きているときに許せたらよかったな。
もっと色々話しておけばよかった。
しろうとすればよかった。
間違いなく私は父の子ですが、父のことを何も知らない。
スイッチ
アメブロで癌患者さんの遺族の方のブログを読んだら、スイッチが入ってしまって、涙がとまらなくなってしまった。
今はお盆だからなおさらだろうか。
今日はなかなか眠れないかもなぁ…。
このスイッチは厄介で、普段どこにあるのか分からないのに確実に存在していて、いきなり入になるのです。
しかも一旦入るとなかなか切れない曲者。
入りになる条件は私も分かりません…。
闘病ブログは患者さん本人の気持ちや、病気のこと、これからどんな状況になりえるのかを知りたくてよく読んでいました。
私は家族であり、患者になった父の気持ちは分からない。
人それぞれ違うからなんとも言えないけど、父の気持ちを知れたらなと思ったし、有益な情報を得られたらと。
あとこれから起こるであろうことにそなえるため。
父が亡くなってからは、散々読み漁っていた闘病ブログが、急に読む気になれなくなって、パタッと一時期読むのを辞めました。
今はまたよませていただいてます。
遺族の方のブログ…大体は連れ合いをなくされた方のものが多いのだけれど、中にはご兄弟姉妹、親御さんを亡くされた方もあった。
そのなかで病院に面会に行く様子や、お医者様や家族とのやり取り、旅立たれるときのこと…
もちろん全く同じ状況ではなくとも、やはり重なるところや思い出すところがあるのです。
今日は病院面会のお話を読んでいて、ばっと頭に病院にいたときのあの重い空気感や、毎日病院に向かうときの自分が鮮やかによみがえってきて、あの苦しくて悲しかった日々が頭をめぐって…
あのときの後悔や悲しさや苦しさが…
父の辛く苦しむ姿が…
頭に浮かぶのです。
今日は元々父のことが思い浮かぶことがよくありました。
ふと携帯の電話帳検索していて、父の連絡先が出てきたんです。
あ、もう電話で話すこともないんだなって、当たり前だけど思いました。
先日解約もしたし、もう番号自体がないんですけどね。
父の家に戻ってきて、なるべく父の部屋には入らないようにしていたのですが、1Fには父のものがたくさん。
家の主はいないのに、父が使っていた物たちは当たり前にそこにいる。
母も父の家にはいないし。
父のアフターシェーブローション?があったのですが、私が子供の頃からメーカーを変えていなかったようです。
私は父と折り合いが悪すぎて全然同じ家にいながら顔を会わせていませんでした。
だから父との思い出がないのです。
親元にいたのに。
親と子も縁なのに。
なんとも言えない感情がうずまき、またスイッチが入ってしまいました。
もう何を思ったって会えないのに。
もうわかりあえることもありません。
でも傷付け合うこともありません。
最後苦しくても話してくれたことにもっと向き合って話せたらよかった。
心を整理する時間も、立て直す時間もなかった。
相反する感情とか、悲しみとか、申し訳なさとか、後悔とか、怒りとか、とにかく苦くて重くて熱い感情が渦巻いて、自分の中をぐるぐるめぐります。
そして足元の地盤が崩れ落ちた中に無理矢理立とうとしているような途方もない不安を感じます。
私には兄弟姉妹がいません。
私のことを本気で心配してくれる人はこの世に二人しかいなかったけど、今は一人しかいません。
若い頃から色々つまづき過ぎた私には自分の家庭を持つことは難しいと思います。年齢的にも厳しい。
母がいなくなってしまったら、私は本当に天涯孤独。
普通ならこの年ならある程度身に付けているはずの生きていく力も、私は身に付けられなかった。
そんな自分が本当に一人になったら、きっともう生きていくのは無理だろうな。
その孤独感に耐えられるわけがないから。
あー、思考がどんどん変な方向へねじくれていく。
父は生きたいと願っていた。
なんで私じゃなく父だったんだろうな。
ごめんなさいとありがとうを言いたかった。
もっと色々話したかった。
もう一度、お酒一緒に飲みたかったなぁ。
もう一生、お父さんって呼ぶことはないんだな。
だめだ。今日はしばらく眠れないわ。