スイッチ
アメブロで癌患者さんの遺族の方のブログを読んだら、スイッチが入ってしまって、涙がとまらなくなってしまった。
今はお盆だからなおさらだろうか。
今日はなかなか眠れないかもなぁ…。
このスイッチは厄介で、普段どこにあるのか分からないのに確実に存在していて、いきなり入になるのです。
しかも一旦入るとなかなか切れない曲者。
入りになる条件は私も分かりません…。
闘病ブログは患者さん本人の気持ちや、病気のこと、これからどんな状況になりえるのかを知りたくてよく読んでいました。
私は家族であり、患者になった父の気持ちは分からない。
人それぞれ違うからなんとも言えないけど、父の気持ちを知れたらなと思ったし、有益な情報を得られたらと。
あとこれから起こるであろうことにそなえるため。
父が亡くなってからは、散々読み漁っていた闘病ブログが、急に読む気になれなくなって、パタッと一時期読むのを辞めました。
今はまたよませていただいてます。
遺族の方のブログ…大体は連れ合いをなくされた方のものが多いのだけれど、中にはご兄弟姉妹、親御さんを亡くされた方もあった。
そのなかで病院に面会に行く様子や、お医者様や家族とのやり取り、旅立たれるときのこと…
もちろん全く同じ状況ではなくとも、やはり重なるところや思い出すところがあるのです。
今日は病院面会のお話を読んでいて、ばっと頭に病院にいたときのあの重い空気感や、毎日病院に向かうときの自分が鮮やかによみがえってきて、あの苦しくて悲しかった日々が頭をめぐって…
あのときの後悔や悲しさや苦しさが…
父の辛く苦しむ姿が…
頭に浮かぶのです。
今日は元々父のことが思い浮かぶことがよくありました。
ふと携帯の電話帳検索していて、父の連絡先が出てきたんです。
あ、もう電話で話すこともないんだなって、当たり前だけど思いました。
先日解約もしたし、もう番号自体がないんですけどね。
父の家に戻ってきて、なるべく父の部屋には入らないようにしていたのですが、1Fには父のものがたくさん。
家の主はいないのに、父が使っていた物たちは当たり前にそこにいる。
母も父の家にはいないし。
父のアフターシェーブローション?があったのですが、私が子供の頃からメーカーを変えていなかったようです。
私は父と折り合いが悪すぎて全然同じ家にいながら顔を会わせていませんでした。
だから父との思い出がないのです。
親元にいたのに。
親と子も縁なのに。
なんとも言えない感情がうずまき、またスイッチが入ってしまいました。
もう何を思ったって会えないのに。
もうわかりあえることもありません。
でも傷付け合うこともありません。
最後苦しくても話してくれたことにもっと向き合って話せたらよかった。
心を整理する時間も、立て直す時間もなかった。
相反する感情とか、悲しみとか、申し訳なさとか、後悔とか、怒りとか、とにかく苦くて重くて熱い感情が渦巻いて、自分の中をぐるぐるめぐります。
そして足元の地盤が崩れ落ちた中に無理矢理立とうとしているような途方もない不安を感じます。
私には兄弟姉妹がいません。
私のことを本気で心配してくれる人はこの世に二人しかいなかったけど、今は一人しかいません。
若い頃から色々つまづき過ぎた私には自分の家庭を持つことは難しいと思います。年齢的にも厳しい。
母がいなくなってしまったら、私は本当に天涯孤独。
普通ならこの年ならある程度身に付けているはずの生きていく力も、私は身に付けられなかった。
そんな自分が本当に一人になったら、きっともう生きていくのは無理だろうな。
その孤独感に耐えられるわけがないから。
あー、思考がどんどん変な方向へねじくれていく。
父は生きたいと願っていた。
なんで私じゃなく父だったんだろうな。
ごめんなさいとありがとうを言いたかった。
もっと色々話したかった。
もう一度、お酒一緒に飲みたかったなぁ。
もう一生、お父さんって呼ぶことはないんだな。
だめだ。今日はしばらく眠れないわ。