こんにちは、
ミュウ美郷.です。
いかがお過ごしですか?
緊急事態宣言が終わり、やっと少し動けるようになったな~とお出かけしたい気持ちでいましたが、今はまた横浜引きこもり生活に戻ってしまいました。
さて、「自分史上最高」という言葉、最近よく聞きませんか?
「自分史上最高に美しくなるメイク方法」
「自分史上最高に輝くファッションの法則」
「自分史上最高に愛される彼氏との出会い方」
※適当に考えたタイトルです。特定のものを指しているわけではありません。
他人とは比べない、自分の中での最高のという意味ですよね。
一見素敵な言葉です。
私も独身で個人で仕事をしている時期に出会い、すごく素敵な言葉だな~と思いました。
「自分史上最高の自分」でいようと、仕事に恋愛に、ファッションに学びに、日々の生活にいそしみ楽しんでいました。
でも、今はその言葉に違和感を感じるようになりました。
自 分 史 上 最 高
よくよく見てみると、
過去の自分と比べて、「今が良い」という言葉なんですよね。
過去と比べて、良くなっている/良くなるという前提に基づいた言葉です。
女性は、ライフステージによって、生活の中での優先順位や時間の使い方が変わります。当然そこから見える景色も大きく変わります。
そうなると、何をもって「最高」というのでしょうか。
また、人は誰もが年を重ねます。
体型が崩れたり、しわができたり、体力的にも衰えます。
できないことは確実に増えていますね。
そうなると、何をもって「最高」というのでしょうか。
私は個人で自由に仕事をしていたところから、出産によって突然ステージが変わりました。
そのギャップがあまりに大きくて、心身ともに病んでいたので、『自分史上最高』という言葉はある意味では危険にもなるなと感じています。
病んでいて苦しかった時に、仕事や今後の人生について相談をすると、必ずこう言われました。
『個人で10年もやってたんだから、大丈夫だよ。』
『あのサロンを作り上げたんだから、またできるって。』
こう言われる度に、とても重荷に感じました。
精神的にも、自分の状態としても、その頃の自分とは、かけ離れていると感じていたからです。
ほんの一年前の自分なのに、、。
比べる相手が自分だからこそ、苦しい。
比べる相手が自分だからこそ、逃れることができない。
『前はこうだったのに』
『昔はできたのに』
この思考ほど、苦しいものはないんですよね。。
一見自分に優しいように聞こえる
『自分史上最高』という状態。
すごく資本主義的な考え方。
コロナで強制的に資本主義が終わりを告げ、感性主義に突入している今、私たちが目指すものはもう別のところにあるのでは?と感じます。
では、なにを目指すと良いのか??
次回書こうと思います(^^)
なんか今回のブログは堅くなっちゃったな、、。
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