今日は明治生まれの常滑の陶工
義介(よしすけ)のご紹介です
明治生まれとなりますと
義介さんをご存知の方はみえましたが
息子さんも亡くなっていて
詳しい話を伺える方はいませんでした
しかし義介さんは俳句をされていて
80歳頃句集を出されています
その中で人生を振り返っている記述や
義介さんをご存知の方々のお話しから
以下をまとめました
水上義介(みずかみよしすけ)
夢楽窯
明治38年1月(1905年)生まれ
昭和62年(1987年)82歳にて逝去
義介さんの鉢は独特の辰砂釉が特徴です
まぼろしの作家などと言われますが
これは世に出ている数が
少ないからだと思われます
焼き物に関してはいわゆる趣味の
範疇だったようで
これをなりわいにしていたわけでは
ないようです
しかし販売はしていました
私の盆栽師匠もお宅へ直接伺って
鉢を買ったことがあるそうです
盆栽鉢よりも抹茶椀などを
多く作っておりました
窯は自宅の庭先に
フイゴ窯を作って焼いていました
フイゴは検索しますと気密な空間の
体積を変化させることによって
空気の流れを生み出す器具・・とあります
難しいですね
簡単に言えば送風機の役割をする
装置らしいです
焼成の時にフイゴで空気を送ると
燃焼温度が高まって辰砂も
うまく出来るそうです
義介さんの辰砂赤の秘密は
フイゴだったんですね
義介さんの落款のご紹介です
落款は夢楽窯から
夢と印が押されていますが
上に釉薬がかかっている為
見にくい場合があります
義介さんの鉢のご紹介です
辰砂赤丸鉢6㎝
最後に義介さんの人生を
時系列で追ってみます
明治38年生まれ(1905年)
大正8年高等小学校卒業(1919年)14才
大正8年から丸十杉江製陶に勤務
大正11年(1922年)上京17才
大正12年東京中学4学年編入するも
関東大震災が起き鹿児島へ転校
大正14年東京高等工業学校窯業科入学
昭和3年卒業(1928年)23才
昭和3年丸十杉江製陶勤務
昭和12年日支事変から戦争始まる
昭和20年終戦(1945年)40才
昭和22年常滑町町会議員となる
昭和29年市制施行常滑市となる
昭和30年より市教育委員長
昭和36年狭心症の為入院
昭和36年公職を退く(1961年)56才
以降俳句は俳号夢楽として焼き物は
陶名楽介として打ち込む
昭和59年句集発行(1984年)79才
昭和62年逝去(1987年)82才
余談ですがお勤め先で出てくる
丸十杉江製陶は現在の東窯工業です
東窯工業といえば現在も稼働中の
工場でありながら映画、テレビの
ロケに度々使われている会社です
一番有名なのは
『20世紀少年 最終章「ぼくらの旗」』
昭和の雰囲気を残す今では貴重な場所
しかし社長さんが亡くなられて
今受注しているお仕事の終了に伴い
辞められるそうなんです
この建物はどうなってしまうのか
もし無くなるとすれば
さみしいことですね
関東大震災も戦争も体験された
義介さんの鉢を今こうして眺めて
明治、大正、昭和、平成、令和と
時代の移り変わりに思いを馳せています