常滑陶工【幸治】 | みさきのミニ盆栽遊び

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今日は大正生まれ常滑の陶工

幸治(こうじ)のご紹介です

 

常滑の陶工としてこれまで

お名前が出る機会が少なかったですが

特に手びねりが素晴らしく

ぜひ知っておいて

いただきたい方のお一人です

今回幸治さんを語るには

常滑の萬留平から

瀬戸の品野茶山まで登場します

調べていてもワクワクでした

 

‥‥‥‥

 

渡邊幸治(わたなべこうじ)

大正11年8月20日(1922年)生

平成13年(2001年)79歳にて逝去

 

まず初めに常滑の萬留平窯の

家系図をご覧ください

(関係者のみで他のご兄弟は

省いております)

 

 

明治26年に創業したのは

初代のかざ平さんです

かざ平の平をとって丸平窯としました

かざ平さんの子供の信義さんが

二代目です

信義さんから盆栽鉢作りを始めます

落款は萬留平(ばんりゅうへい)です

しかし一般的に萬留平(まるへい)と

呼ばれています

信義さんの子供の敬さんが

三代目です

落款は敬心、有趣陶苑です

残念ながら昨年他界されました

 

幸治さんは二代目信義さんの弟です

敬さんの叔父にあたります

今回幸治さんの息子の総平さんが

運よく見つかり以下のお話を

伺うことが出来ました

 

幸治さんも若い頃は萬留平窯を

手伝っておりました

そして戦後

 

昭和25年頃(28才頃)

いったん焼き物を離れ

花屋さんとして独立しますが

 

昭和30年頃

再び焼き物の道へ戻り

盆栽鉢作りを始めます

この頃は尺もの(30㎝くらい)の

角鉢や楕円を作っていました

まだ自分の所に窯がなく

他の窯屋で借り窯をしていました

 

昭和35年(38才)窯を築きます

1㎥ちょっとの大きい電気窯です

窯が出来たので大鉢の製造も

開始しました

3尺3寸(焼き上がりで90㎝)の大物も

総平さんが手伝ってひっくり返しました

その後は小さいものから大物まで

サイズもいろいろになり

急須などの茶器も手掛けました

 

昭和45年頃(48才)から足を

お悪くしたこともあり

その後は小さいものが中心となります

 

そして平成3年頃からお仕事は引退

平成13年79才で逝去されました

 

幸治さんの落款のご紹介です

釘彫りで幸治と書く場合と

印があります

 

 
 

 

幸治鉢のご紹介

 

手びねり丸 繊細な作りです

縄縁ともまた違う

点を繋げた様な縁の模様が特徴

8㎝

 
落款 幸治
 
 
 
 
朱泥丸 6.5㎝
 
 
 
 
 
手びねり6㎝
 
 
 
この土は本朱泥といって常滑の
田んぼからとった土そのものなんです
採る場所によって
黄泥になったり朱泥になったりします
この土が採れたからこそ常滑の
朱泥急須は生まれました
 
 
 
 
そしてこちらの鉢や
 
 
 
この鉢の絵はどなたかに似てませんか?
 
はい品野茶山です
この鉢は茶山の絵を真似して
幸治さんが彫っています
 
なぜ幸治さんは茶山を真似したのか?
それは実は茶山さんは
息子の総平さんの絵の先生なのです
元々総平さんは壹興さんの大先輩で
常滑高校窯業科のご卒業
焼き物の町には高校にも
窯業科があったのです
専門は彫塑ですが30才頃3年間
茶山に絵を学びました
 
そのご関係で総平さんが師匠の絵を
お父さんに見せたところ
真似をして作ってみたという訳です
総平さんに伺った茶山さんは
大変お酒が好きでお酒が入ってないと
手が震えて筆が走らないという方だそう
 
茶山さんは自身で鉢も作られますが
絵師さんでもあるため
色んな方のボディに書いています
その中には総平さんを経由して
幸治ボディ茶山彫りの鉢が少ないですが
世の中には出ているそうです
 
余談ですが総平さんも若い頃
鉢を作っていました
総平さんの平は
初代かざ平からもらっています
その関係で
かざ平さんの丸平と言う名前を
総平さんが継いだらしいです
総平さんの落款は○の中に平
または倉平を使っていましたが
一時期だったので世の中には
あまり出てないそうです
 
そして
幸治さんの彫りを施した手びねりの鉢が
素晴らしいのですが
持っていないのでご紹介できません
型ものの鉢も見たことありません
もしお持ちの方が見えたら
画像を見せていただきたいです
 
代わりに急須をご紹介します
手びねりで技術が高いです
 

藻がけ急須です
 
 
 
つまみは獅子
 
可愛い獅子ですね
 
うちにあった急須
 
つまみはきのこ
 
 

壹興の父正山が

幸治作のぐい吞みで晩酌をしながら

「幸治さは本当に上手だ」と

よく言っていたらしいです