結婚後半年からはじめた不妊治療、43歳の今年で終わりを迎えようと思っています。
次女を授かれたのは39歳の体外受精。
その後母乳育児を終わらせて再開した不妊治療。
ガースー総理の不妊治療保険適用が対象になることを知り
43歳まで不妊治療をやりきることにした私。
そして見失いかけてた「やめ時」も定めることができました。
\前回の話はこちら/
最後の採卵で3つの胚盤胞凍結。胚移植前後に実践したジンクス
最後の採卵で採れた卵は3つ。
翌日受精も確認できました。
その後、3つの胚盤胞を無事凍結することもできました。
そして今月。
次女が今まで行っていたプリスクールを退園してインド式インタースクールのナーサリーへ入学することが決まりました。
そのスクールへは、今の自宅からは少し遠く通うのが困難なため引越しをすることに。
移植後の判定日はなんと引越しの7日前
妊活ジンクスと言われることはやれることはやってみました!
少しでもあやかりたいw
ジンクスは別でまとめたてお伝えします。
効果があるかは乞うご期待…ですが。
\こちらにジンクスまとめました/
私が不妊治療を続けて思うこと
不妊治療って言葉自体が結構重い。
そんなにやすやすと人に話せる話ではないですよね。
精神的にも、体力的にもつらいことは多かったかもしれません。
それにどうしても不妊治療は女性の体への負担が大きく、私たちの場合は“やめるのも続けるのも私次第”という暗黙の了解はありました。
もちろん旦那さんは初めは反対だった高度医療ではありますが、特に3人目を考えてからはとても協力的でした。
ただ私の場合は結果なんども繰り返す治療だったし、期間も長ければ高額な治療で先も見えない。
妊娠しなければ、それまでかけたお金もムダになるという思いもあるし
年齢もどんどんあがるから余計に焦る気持ちも…
妊娠しないことが原因でちょっとしたけんかになることもありました。
でも根本的なことは何も変わっていなくて
やっぱり旦那さんの子を産みたい、旦那さんをパパにしたいって思いが1番でした。
だから痛い注射も、大っ嫌いな採卵も内診も耐えられた。
それと、次女を産んだ喜びと次女が来てくれてからの家族時間がとっても幸せなことを知ってしまったから
なかなか辞め時を決められなかった。。。
だから保険適用になってくれて、43歳までっていう区切り見たときは
「なんで43歳?!子供は国の宝なんでしょーーー!!!」って気持ちもあったけど
逆にそこまでは頑張ろうと思えるいい区切りになったような気もします。
私の場合は、ですが。
今回移植をして結果待ち。
ダメならあと2個の胚盤胞を戻して妊活を終えたいと思います。
無事に妊娠していれば44歳で出産。
20歳で長女を産んで
40歳で次女を産んで
44歳でもう一人産むことができたら
かなーり波乱万丈で素敵なママ人生な気がします。