松本城天守
間近で下から眺めるとなかなかの迫力です。
天守登城口
大天守と小天守をつなぐ渡り櫓の下に入り口があります。
入って右側の小天守の方に進みます。
小天守二重目
小天守は外観が三層、内部は四重になっています。残念ながら三重目から上は非公開となっています。
上の写真は小天守二重目から渡り櫓を眺めたところです。
大天守一重目
渡り櫓を通り、急な階段を下り大天守一重目に入ります。一重目は窓が小さく中は薄暗区なっています。内部は7×8の56本の柱が規則正しく並んでいます。
武者走り
大天守一重目は外側の一段下に武者走り(入り側)が廻らしています。大天守自体が17メートル×15メートルと狭いため、むしゃばしりも150センチあまりと他の五層天守に比べて狭くなっています。
その中で堀側の武者走りは、内側に比べて少し広くなっています。
天守平面図
松本城が築かれた文禄から慶長初期は石垣造りはまだ未熟で、正確な長方形には出来ず、中の方が少し内側にくぼんだ、上から見ると糸巻き状になってしまいます。
天守の柱や壁は石垣の際に沿って建てられるため、中の方が少し内側にくぼんでしまい、その影響は二重目まで及んでいます。
でこぼこの柱
現在使われる台鉋は室町時代、中国から入ってきたようですが、この時代は一般には使われず、大工は釿(ちょうな・ちょんな)を使って、材木を荒削りしました。下の写真が釿です。
古い材木には釿で荒削りした跡が残っています。
釿(ちょうな・ちょんな)
しゃちほこ
鯱は頭が虎、体が魚の想像上の動物で、口から水を噴きだし火を消すことから、建物を火災から守る呪いとして、大棟に載せられました。
昭和の大修理(昭和25年~30年)の時に下ろされた鯱が展示されています。高さは雄が127センチ、雌が124センチあります。
懸魚心材
千鳥破風や入母屋破風にはかぶら懸魚が取り付けられています。下のスペード形がかぶら懸魚になり、その上の黒いのが六葉になります。魚が付くように火災から木造の建物を守る呪いとして設えました。
心材は檜で、その上に下げ苧(さげお、麻)釘でを打ち付け、その上に漆喰を塗りました。
壁の断面
松本城の漆喰壁は、外側が柱も全て塗り込める「大壁」、内側は柱を出す「真壁」となっています。厚さは一、二重目が約30センチ弱。上に行くほど薄くなっています。厚さ30センチもあれば鉄砲程度では打ち抜けませんでした。
埋め込まれている縄は補強のためだと思います。
階段と天井
一重目は天井まで約2,5メートルと高くありません。
一般に天井が低いのは、槍などの武器を使いにくくするためだと言われています。