瑞龍寺総門
瑞龍寺は高岡駅の南西約600メートルの所にある曹洞宗の寺院です。
前田利長が本能寺の変で倒れた主君織田信長、信忠父子を弔うために、文禄三年(1594年)金沢に建てた宝円寺(後に法円寺)が前身となります。利長が家督を異腹の弟、利常に譲り隠居し、富山城に移りますが、慶長14年(1609年)に富山城が焼失し、新たに高岡城を築城すると、慶長18年(1613年)法円寺も高岡に移りました。
慶長19年(1614年)利長が亡くなると、三代藩主前田利常は、法円寺を利長の菩提寺とし、利長の法名である瑞龍院にちなみ瑞龍院と改め、広山恕陽(こうざんじょうよう)禅師により開山、後に瑞龍寺となりました。
利常は正保3年(1646年)より瑞龍寺の伽藍を整備しました。加賀藩お抱えの名大工、山上善右衛門嘉広を棟梁とし、利長の50回忌の寛文3年〔1663年〕に完成しました。
瑞龍寺 伽藍図
寺域は約3万6千坪(約118800平方メートル)と広大で、周囲に城郭のように濠を巡らし、七堂伽藍(三門、仏殿、法堂、僧堂〔禅堂〕 庫裏、浴室、東司〔厠〕)を完備したものでした。
総門、山門、仏殿、法堂を一直線に配し、右に大茶堂、鐘楼、大庫裏、浴室を置き、左側に禅堂、七間浄頭(東司)を配して、それらを回廊で繋ぐものでした。明治時代に入り加賀藩の庇護が無くなると財政的に困窮し、七間浄頭、浴室を解体し部材が売却されました。
平成9年(1997年)に山門、仏殿、法堂が国宝に指定されました。富山県内では初めての国宝指定になります。総門、大庫裏、禅堂、大茶堂、回廊が重要文化財に指定されています。
山門
正保2年(1645年)に建立、万治年間(1658年~1661年)に現在の位置に立て直されました。延享3年〔1746年)に火災で焼失し、文政3年(1820年)に再建されました。
回廊
仏殿を取り囲むように回廊が巡らされています。長さは約300メートルほどあります。
鐘楼・大庫裏