御器所西城(尾陽神社)と伊勝城(宝珠院) | にっくんのブログ

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御器所城と伊勝城


御器所西城


名古屋市昭和区御器所二丁目の尾陽神社がありますが、戦国時代は御器所城がありました。

尾陽神社の境内は、十メートルほどの小高い丘の上にあり、かつては周囲を堀が囲んでいたようです。

御器所城は嘉吉年間(1441年~1444年)、この辺りを領した佐久間美作守家勝によって築かれています。織田信長の頃になり、佐久間盛政が、近隣の伊勝城から移ってきました。盛政は柴田勝家の甥として知られ、鬼玄蕃と言われる猛将でしたが、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れ、京を引き回されたあげく、宇治の槇島で斬首されました。



尾陽神社境内

尾陽神社境内


 尾陽神社は、名古屋東照宮に合祀されていた、初代尾張藩主、徳川義直と、幕末に活躍した十四代藩主、徳川慶勝を祀るために、尾張藩士たちによって明治44年(1910年)に創建されました。大正11年(1922年)にこの地に遷座されました。



宝珠院

宝珠院


 伊勝城は、佐久間盛政によって築かれたといわれています。名古屋市千種区伊勝町二丁目の宝珠院に伊勝城があったと言われています。盛政が御器所城に移り、廃城になったといわれています。



宝珠院本堂

宝珠院本堂




宝珠院から見た風景

宝珠院眺望


 上の写真は宝珠院の境内から北西方を見た風景です。正面は今池方面です。

 高さが二十メートルほどの台地の西橋にあるために眺望は抜群です。