やってみる前に「どうせダメ」と引いてしまう
〝 待つ時間 〟がいちばんこわい
つい最近、アミューズメントパークへ行くことがありました。新しくできたプレイスポットのあれこれについて書くもののひとつでした。
実は、わたしは極度の怖がりです。暗い穴ぐらのようなところを通らなくてはいけない、と聞いただけで心臓がバクバクしてしまうほど。
だからアトラクションと言っても、暗くなくて激しくなくて・・・・・・なんて注文つけると、ほとんど体験できるものがないのです。
その日も、それだけが気になっていたわけです。
怖いのりものに乗りたくない・・・・・・。
しかし、体験することになりました。一緒に行った人に「このくらいなら大丈夫」と励まされ、ジェットコースターとシューティングゲームを合わせたようなアトラクションの列に並ぶことになりました。
1回に乗れる人の数は限られていますから、徐々に前へ進みながらドキドキ、バクバクは加速していき、なんともいやな感じです。
途中、注意書きがあって「血圧の高いかたや、妊娠中のかたはご遠慮ください」なんて書いてあるのを見て、一緒の人に「わたし、血圧が高くて薬のんでる」なんてウソをつこうか、と本気で考えてしまいました。
待つのは20分くらいでしたが、楽しみでワクワクしているのではない人間としては、ゆううつな時間でした。
しかし、実際に乗った時間はわずか3分くらいのもの、途中でコースターが突然うしろ向きに走り出したときはほんとにビックリしたけれど、けっこう面白かったんです。
わたしがイヤだったのは、やってみる前の並んで待っている20分のほうでした。
乗っている間の3分はそんなにイヤじゃありませんでした。正直に言うと、もう1回乗ってもいいな、と(口には出しませんでしたが)思ったほどです。
わたしたちは「こうあったら困る」とか「どうせダメ」とかいうことばかり想像します。
そんなときは、暗い想像に長い時間支配されているくらいだったら、目をつぶってエイッと1回体験してしまったほうが、ずっと心がラクになる場合もあります。
イヤなのは「どうせダメ」とおじ気づいている自分のほうであって、行動してしまえば、キャーキャー言っている自分のことは、そんなにイヤじゃないはずです。
陸上競技で最後にゴールした選手に対する、あの割れんばかりの拍手はなんでしょう。
たぶん、その選手のタイムでは優勝や入賞はおろか、ビリになることがほぼわかっているような状況だったかもしれない。
けれど、彼は「どうせダメ」なんて引くこと(棄権)ははしませんでした。それに対する賞賛の拍手、というわけです。
成功と失敗の間にあるいろいろな問題には、たくさんのヒントやチャンスが隠されています。
何もしなより、不完全を承知でやってみる。
「どうせダメ」でなく「ダメもと」で。
いつも「ダメもと」精神、というのはきつかったら、5回に1回くらいは引かないで前へ進んでみることにしましょう。
わたしにしても、今度はジェットコースターに乗る列に並んでも、あの20分のような気分にはならずにすむ、と思えるようになっただけで、すごく自信がつきました。