「虎に翼」を見ながら思ったこと | 半世紀ちょい生きてきた

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誹謗中傷は精神衛生に悪いのでご勘弁を。
「自分の気持ちに正直に」をモットーに、思いついたこと、好きなこと、子どものこと、病気のこと、これまでの人生についてなど、硬軟織り交ぜて徒然と書いています。

気づけば4/10。
朝ドラ「虎に翼」も楽しくなってきました。
今回、私的にはブギウギロスもなく、
トラツバは子役編もなかったこともあり、すっかり馴染んでいます。

主演は伊藤沙莉さん。
(サントリー胡麻麦茶「お願いしまっす」の子)

「これは経費で落ちません」「ひよっこ」の頃から好きな俳優さん。
コミカルな雰囲気を纏っているためか「はて?」もわざとらしく無くてスッと馴染めました。


今日のトラつばの、被告人DV夫だった俳優(遠藤雄弥)さんが
実は「ちゅらさん」の和也君だったと知り、昼に連続で見てしまいました。



それにしても虎に翼、先週のお母さんの台詞にはズ〜ンとしたなぁ。


「ハイかイイエで答えなさい」
「自分の子どもの幸せを一番に」
「頭のいい女が幸せになるには、頭の悪い女のフリをするしかないの!」
「あなた、私(母)のことをそんな風に見てたの?」


時代設定は昭和初期のようだけど、
昭和後期〜平成でもバリバリ言われてたよ、あたしゃ。
奥底に仕舞ってあったはずなのに、
もうね、ヒステリックな母の声で、何度も脳内再生されるよね〜。



私の母は戦時中に東北の田舎で8番目の子として生まれ、
小学生の頃から、水汲み、薪運び、飯炊き、洗濯が自分の毎朝の仕事だったそう。



そして「女の当たり前」として、毎晩母親による厳しい裁縫(和裁)の稽古があり、
24時前に寝かせて貰えることはなかったそうです。
それでも朝早く起きて水汲みをしないと、朝ごはんの支度ができない。
いつも眠かったそうです。


冬は夜明け前から、洗濯板で家族みんな分の洗濯をして、
干すと、特に寝巻きなんかは、そのままの形ですぐに凍ったと。
(勿論、手もシモヤケ&アカギレ)

で「自分の娘にはこんなこと絶対にさせない!」と心に誓ったそうな。



で、事あるごとに私に、胸を張って、
「私はあなたには、水汲みも和裁も手洗い洗濯もさせて来なかった!」と言う。


はて?
「それって、お母さんのおかげじゃなく、単に時代の成せる技では?」
…なんて言わせてくれるような人じゃないよね〜。


進学もそう。
「大学に行きたくても行かせて貰えなかったから、娘には上の学校に行かせた」って言うけど、
お母さんの時代は中卒も多かったし、高卒で集団就職も普通だったよね。
私の高校(理系)の同級生女性は、四大どころか院卒も多いよ。


私だって、地元を離れた四大に行って、生物学を学びたかったよ。
でも、私のことを「信用してる」っていつも言う割には、
「浪人も、一人暮らしも、女はキズモノになる」と言って許してくれなかった。
そりゃ、家から通える短大でも、離婚してお金が大変だったから感謝はしてるよ。

でもね、モヤモヤはする。
35年以上経ってもね。



同級生がK塾にどっぷり浸かってた高3の夏休み、
私は働く母に代わり、弟たちの食事や宿題の世話なんかをしながら、
母子で暮らすための借家を、毎日自転車で駆けずり回って探していた。

私はきっと、今の定義でいうところのヤングケアラーで、
「女が学を付けると生意気になる」と刷り込まれてもいた。


モラ父に「女は中卒で働け!どうしても嫌なら商業科だ」と怒鳴られても、
確かに母は、私を進学校に行かせてくれたけれど、
あの気の強い母でさえも、女が知識をつける事を、
決して良くは思ってはいなかったということなんだろう。


「名前が書ければ入れる」とさえ言われた大学に、
寄付金大枚はたいて入った小学校の同級生に、会うたびマウントを取られたり、

「私はマスター出なのに結婚できたけど、あなたは学歴が軽いのに御縁が無いのは何故?」
と高校の同級生に、繰り返しマウントを取られたり。
(就職ができなくて院進学したことを知っている私に対してもマウント取れる神経よ)


あの時の、なんとも言えない、情けなく消えたくなるような気持ち。
そして今また、求人票の「大卒」の文字に心が乱される。




結局、いつの時代だって、人の価値観はさまざまで、
そして、偏見も無くなることはないんだろう。


長男が高校に入学した。
彼はこの先、どんな価値観に触れ、どう成長して行くのだろう。

兄弟2人の弁当を作りながら、
「とにかく健康で毎日が楽しくありますように」と祈る。


これからは息子2人分の弁当作り💪