私は基本、いつでも頭に音楽が流れてます。
しかも、聞いているというより、自分で歌ってる感じ。
鼻歌のボリュームをゼロにしてる、が一番近いです。
小学校の運動会。
練習の時は頭の中で速い曲を流して走るから、まぁまぁ速いんだけど、
本番は「天国と地獄」とか「クシコスの郵便馬車(クシコスポスト)」とか大音量で流れますよね。
あの音楽がモロ影響するんですわ。
倍速で脚を動かすけれど遅くなってしまい、よく怒られました。
別にふざけてる訳じゃないんだけど、
こういうのが普通じゃないらしいことを、つい最近聞きました💦
そんなわけで、1人でいる時でも
無音状態(だけど脳内再生)で作業してます。
最近は「Adoの歌ってみた」シリーズが多くて、
特に「神っぽいな」「ヴィラン」あたり。
「明菜ちゃんの歌をどう歌うのか」という興味でCD💿を買ってみたら、
意外にも(⁉︎)素直に忠実に歌っていて、リスペクトを感じました。
でも2番になると、徐々にAdoらしさを加味してきて、自分の歌にしている。
「この子、凄い」って改めて思いました。
「ドライフラワー」も優里が歌うより好きかもしれない。
「かわいくてごめん」も興味津々だったんだけど、
その前の曲「愛して*3」「罪と罰」の狂気からのギャップが凄いうえに、
「♪ザマア!」からの2番の
Ado特有の毒気が徐々に廻って来る感じがマーベラス!
どの曲を聴いても、同じフレーズの所に変化を付けていることを強く感じます。
私は仮名書道が好きで、現代詩(漢字かな交じり書)もよく書くのですが、
同じ言葉の繰り返しの表現って難しいんです。
いつも、墨の量や書体などに変化を付けて、書き振りを変えることに留意しています。
「Adoちゃんもココを工夫して歌ってるんだろうな」「頑張ってるんだな健気だな」と思うと、
BBA心(老婆心)がムクムクして
「悪い大人に騙されないでね」「消費されないでね」「身体は大事にするのよ」なんて思いますw
ところで、
「ado」と聞けば、脳内変換候補筆頭は「亜土」のこの世代。
水森亜土ちゃんは元気だろうか?
母より年上の筈だけど。