書き殴り | SOUL OF MINERVA

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タイトルのわりにはゆる~いページ

アメブロを、読み返してみたらば料理か遊んでいる記事しかなかった……まぁ事実、食べる・遊ぶ以外は、呑むか、チャリか、筋トレしてるくらいです。(ベリーダンスはどうした?)


たまには、私の一方的な思考でも。

酔っ払って、スマホに書き殴ったメモですが時間経って読み返すとツッコミどころがあったりで笑えたので、以下書き殴った時をそのままコピぺw


タイトル無し

今で言う、発達障害が場所を移動して

子孫を残し、数が繁栄


知能指数が高い人が、今の文明発展を繁栄



地球と言う単位で考えた時に、役割分担してはどうか?


どちらが、どうという優位はないはず


生物としての、目的は生き残ること


発達障害が一般コミュニティで生きづらい理由は、近代において普通基準とされる人の比率が多いから。ではなかろうか。

いや、生きづらいからこそコミュニティを替える手段として移動したか?




現代において、年功序列のイビリが無くなったワケ。

結論から言おう!

現代はイビる以外の楽しみが、他に有るから。


第二次世界大戦の時に、日本軍の捕虜となったアメリカ兵から観た、日本軍の一端からであるのだが、

日本軍の上の兵隊さん(上官)は常に下の、兵をぶん殴っていた。


末端の兵は、殴られるまま。当然口答えなど許されるはずもなく、殴られても直立不動を義務付けられた。とか、なんとか……。


意味も無く、ぶん殴られる末端の兵は理不尽この上ない苦しみである。


それを身体に沁みてはいるのだが、自分よりも下の兵が入ってくると、理不尽に同じようにぶん殴る。


何故なら、人をぶん殴るよりも他に楽しみがないから。また、どんなに末端の兵が入ろうととも、自分より上(上官)からは常にぶん殴られる事には、変わりはない。

最悪の場合は、新人が入る事が無くポジションが変わらないという……。



第二次世界大戦の兵隊さんと、昭和後半までの上下関係と被る部分があるのだが、



中学生あたりになると、昭和までは先輩方から上下関係を押し付けられて来た。


お父さんはお勤め先や先輩から、お母さんは

、地震・雷・火事・親父のえばった!お父さんから。子供は両親と学校などから。皆が皆、家に安息の場所は無く、さりとて気分転換が出来るような、インターネットも、いつでも観れるような動画も無い。


家でも押さえつけられ、社会でも押さえつけられ、日本軍の末端兵のように、下の人間にえばる!しか楽しみは無かったのだ。



だが、現代においては、

楽しみとなるコトが選べるほどある。


極限状態ではないのであれば、人は人に、そしてその他にも優しく出来る。という人の本質から、食う・寝る・遊ぶ、が充実した現代日本人は心に余裕があるのであろう。




合理化の先で、人は救われるのだろうか?




今の私に、聞こえる情報は多すぎて……


あらゆる多様性を考慮すると、必然と黙る。


2024年の現代と、ひと昔前74年前とを比べた場合に、人の本質は変わっていないと、私は思う。


1951年発行で、74年前のサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」と、2024年現代とのゲキ的な違いは、耳を塞いでも、色々と聞こえてしまう。ところではないだろうか?