副業先のデザイナーのおじいちゃんと、一日中たわいもない話しをしながら作業する日が何日かあり、話しから出た雑誌を貸してくれました。
昭和61年発行の別冊「太陽」
タイトルの通り、昭和10年から20年の子供がどんなだったか。雑誌と子供向け新聞の記事や、挿し絵などから当時を知る。的な内容となっています。
亡くなったウチのばーちゃんが昭和元年生まれで、じーちゃんが大正15年生まれだから、ちょうど10歳、11歳で本の中の子供と同世代か。
デザイナーのおじいちゃんは、さすがデザイナーなので、この頃の着る物などをしげしげと。
とは、言えデザイナーが多分昭和10年代生まれぽいんだけど、記憶にないほど幼いころかしらね。
ついつい、右からなんの違和感もなく「トスキテ」と、読んでたけど、テキストか。
レコードのカタカナは左から右←に書いてるけれど、楽譜はどうする?!と思ったら右から左→でした。
注釈に、昭和10年の商品が今も有るものもある。と昭和61年にも書いてますが令和の今も、有りますねー。ライオン歯磨きがこんなロングセラーとはしらなかったな。
ボットんトイレについては、私でも大変に共感!とゆーか、知ってる人は皆そうよね。
ちなみに、未だにボットんは怖いですww
イラストが上手いんだか、なんだんだか。な感じ。
まだ、ペラペラとのんびり観てますが当時に「幼年クラブ」だの、「小学生新聞」なんか読んでるのは、東京の子だけでは?そしてこんな綺麗な暮らしも東京だけでは?
と、思いなが注釈など読んでいたら「永六輔」がこのような雑誌や新聞は東京でも、下町の子などは存在すら知らず、山の手の裕福な一部の家だろう。と書いていましたね。
最初の「ファッション」
など、完全に上流階級でしょ。ウチの田舎であんな写真撮ってた子なんてまず、いなそー。
軍国主義?社会主義?もあり、プロパガンダもなかなかどーして。イラストと相まって北朝鮮感ありますね。
当時は、実際の子供は鼻水ガビガビで、さらに田舎の子は汚い。という現実を見せてはいかん。とゆーことで、検閲とゆーより政府からの内容そのものだったようです。
歴女としては、色々どーしても斜めですが色々と年寄りの話しとあわせて面白いですね。